前衛出版社・遠足文化と並び、derorenは遠流台湾館の良い顧客である。「歴史深度旅遊」シリーズは台南・台北で計四冊購入、そして植物の本まで買ったわけだ。
『福爾摩沙植物記』(潘富俊著)は、「101種台灣植物文化圖鑑&27則台灣植物文化議題」とサブタイトルがあるように、台湾(フォルモサ、美麗島)で見かける植物の図鑑である。特徴は伝来時期ごとに区分していることで、最初に元々の自生種を紹介した後、オランダ以前の伝来、オランダ時代、鄭氏時代……と区分されている。
この本は、上のリンク先でも分かるように表紙から中まで綺麗なイラストが満載である。その辺も良さそうだと思って、やや高いけど買ってみた。そして、買ってびっくりだ。
購入を検討する人に言っておこう。この綺麗なイラストは岩崎灌園『本草図譜』である。私は花の関係の仕事もしているので、そちらで良くお世話になっている江戸時代最強の写生画集だ。どうやら台北の林業試験所図書館に所蔵があるらしく、著作権も発生しないから便利に使っているようだ。
岩崎『本草図譜』は、リンク(直接はれない形式なので国立国会図書館の貴重書画像データベースからタイトルで検索しておくれやす)で見れば分かるように、一応は本草学的な分類を踏襲しつつも、ドイツの植物誌などを取り込んでいる。なので、実は日本になかった植物も沢山載っている。ドイツの出版物を写したせいで、得体の知れない植物すらあるから、引用する際には注意が必要である。
ざっと見た範囲で言えば、鳳梨(パイナップル)の紹介で掲載されたイラストが、どう見てもアダンという例が気になった。「巻68(果部夷果類2)」で該当部分を見つけた(気になった人は上のリンクから辿ろう)ので確認すると、何と「波羅蜜」だとある。その別名に「鳳梨」があって、これがまさかの『台湾府志』から。説明文中には、実の繊維で筆を作り、それを「あだんふて」、つまりアダン筆と呼ぶとある。探したらこんな記事があった。まさしくアダンであって、パイナップルではない。
要するに岩崎灌園は、ジャックフルーツ(波羅蜜)、パイナップル、アダンを混同している。それは彼が、少なくともアダン以外は全く見たことがなかったせいではないかと想像される(アダンは琉球にあったから、情報は入りそうだ)。
この場合、問題なのはあくまで岩崎灌園がパイナップルを知らずに載せた点である。しかし、それを知っているはずの潘富俊氏が、「正確には頂部の葉の中に実が着くよ」なんて白々しい説明まで加えているのはいただけない。結局、欲しかったのは綺麗なイラストであって、学術的価値は二の次だったのかも知れない(この書物の位置づけ自体が)。
まぁそんなわけで、手放しには薦めづらい本ではある。それでもまぁ、好きな人なら楽しめるだろうから、台湾の花好きな人は購入を検討しても悪くはない………って、全く薦めている文章ではないな。
掲載植物から一つ。
仙丹花は清朝時代の渡来だそうだ。日本ではサンタンカ(山丹花)で、なぜか一字違うようでござるよ。
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2010/03/30
2010/03/21
日本の台北ガイドブックは、なぜ魅力に乏しいのか?(ガイドブック紹介 その5)
徹底的に台南びいきの当ブログであるが、次回訪台の際には台北に数泊する予定となっている。
さぁしかし、台北でどこに行けばいいだろう? 小吃店探訪の方は、まぁそれほど心配していないのだが、見学箇所に困るわけだ。
で、既に買ってある台北ガイド(以前に一応は紹介したように、「地球の歩き方」「JTBララチッタ」「いい旅・街歩き」「るるぶ台湾」「大人の台湾極楽ガイド」)を熟読してみた。しかし結論は、どうにも魅力に乏しいというものになった。
なぜだろう?
仕方がないのでまた博客來網路書店で数冊購入してみた(遂にダイヤモンド会員昇格決定だ)。するとびっくり、台北は面白そうなのである。
●談齊好著『台北』(明窗出版社 2008)
明窗出版社というのは香港の出版社。従ってこれは、香港の旅行者向けの台北ガイドということになる。香港から入国する手続きなどが書いてあって、日本より面倒なのに(今さらだが)驚いた。
それはともかく、めくって見ると間違いなく日本のどのガイドブックより上である。なぜだろうといろいろ考えてみたが、どうも一番の理由は旅行者の欲望に素直だからではないかと思う。
内容は、捷運(MRT)の駅ごとに名所や名店を紹介する形。なので迪化街など、駅から遠い地域が載っていなかったりする。永康街は載っているけど。
日本のガイドと異なる点は、まずショッピングにかなりの力点が置かれている点。百貨店やブランドショップ、書店などに多くのページが割かれる一方、お土産関係の店はほとんど載らない。マッサージも紹介なし。茶藝館はほとんどなく、老舗喫茶店などが多い。大皿料理の店よりも小吃店が多い。ビジネスホテルは基本的に割愛され、その代わりに北投温泉のホテルや陽明山・九份の民宿など、それ自体が観光施設といえる箇所はじっくり紹介されている。
観光名所のラインナップも大きく異なる。衛兵の交代がどうのなんてのは、全く記載もない。故宮博物院も紹介されない。北投、淡水、陽明山、九份などの郊外は丁寧におさえられている。
これらから見えてくるのは、ショッピング(ブランド品やタレントグッズなど)、香港にない景観(山と温泉)が両輪なのだろうということ。「台湾だから**しなきゃ」みたいな感覚はないので、烏龍茶よりも紅茶や珈琲の店を紹介する(九份の茶藝館を紹介する写真で、茶藝スペースはいつも日本人でいっぱいだなどと書いてあるのは象徴的だ)。
もちろん私自身にとって、迪化街や故宮博物院が載っていないガイドは不便である。しかし、どちらも数ページ程度の紹介では何も分からないのも事実で、必要ならそれ専用のガイドを用意すればいいと考えることもできる。
とりあえず私はこのガイドを読んで、郊外の宿泊施設に関心をもった。何でも手広く扱うガイドブックは何の関心も与えてくれなかったのだから、これはこれでガイドブックとしての価値があるのだ。
翻って日本のガイドブックを見ると、ツアーで訪れる箇所とツアー客が泊まるホテルを丁寧におさえている。ツアー業者にとっては、「訪問先はガイドに載ってますよ」という質的保証の役割を果たすことだろう。しかし、ガイドブックを本当に必要とするのは、ガチガチのツアー客ではない。
もっと正直にいえば、日本のガイドブックの作り手は本当に台北に行きたいと思っているのか?、という疑問もある。行きたい人間ならもっと記事に優劣を付けるはずだ。
昔、某社の京都のガイドブックの編集現場に関わったことがあるが、そこでは全く観光の知識がない社員が、機械的に電話取材を続けていた。出来上がったガイドブックはつまらない上に間違いだらけだった(念のため言うが、最大手に属するガイドブックでの話だ)。
私の記憶にはそれが残っているので、つまらないガイドブックの裏には、退屈そうな編集の顔を思い描くことになる。台北なら台北の魅力を自分こそが紹介してやろうという、野心と自信が読み取れるガイドブックを、願わくば手にしたいものである。
※同時に買った別の台北ガイドについて、別途記事を書く予定。そちらも併せてお読みくだされ。
さぁしかし、台北でどこに行けばいいだろう? 小吃店探訪の方は、まぁそれほど心配していないのだが、見学箇所に困るわけだ。
で、既に買ってある台北ガイド(以前に一応は紹介したように、「地球の歩き方」「JTBララチッタ」「いい旅・街歩き」「るるぶ台湾」「大人の台湾極楽ガイド」)を熟読してみた。しかし結論は、どうにも魅力に乏しいというものになった。
なぜだろう?
仕方がないのでまた博客來網路書店で数冊購入してみた(遂にダイヤモンド会員昇格決定だ)。するとびっくり、台北は面白そうなのである。
●談齊好著『台北』(明窗出版社 2008)
明窗出版社というのは香港の出版社。従ってこれは、香港の旅行者向けの台北ガイドということになる。香港から入国する手続きなどが書いてあって、日本より面倒なのに(今さらだが)驚いた。
それはともかく、めくって見ると間違いなく日本のどのガイドブックより上である。なぜだろうといろいろ考えてみたが、どうも一番の理由は旅行者の欲望に素直だからではないかと思う。
内容は、捷運(MRT)の駅ごとに名所や名店を紹介する形。なので迪化街など、駅から遠い地域が載っていなかったりする。永康街は載っているけど。
日本のガイドと異なる点は、まずショッピングにかなりの力点が置かれている点。百貨店やブランドショップ、書店などに多くのページが割かれる一方、お土産関係の店はほとんど載らない。マッサージも紹介なし。茶藝館はほとんどなく、老舗喫茶店などが多い。大皿料理の店よりも小吃店が多い。ビジネスホテルは基本的に割愛され、その代わりに北投温泉のホテルや陽明山・九份の民宿など、それ自体が観光施設といえる箇所はじっくり紹介されている。
観光名所のラインナップも大きく異なる。衛兵の交代がどうのなんてのは、全く記載もない。故宮博物院も紹介されない。北投、淡水、陽明山、九份などの郊外は丁寧におさえられている。
これらから見えてくるのは、ショッピング(ブランド品やタレントグッズなど)、香港にない景観(山と温泉)が両輪なのだろうということ。「台湾だから**しなきゃ」みたいな感覚はないので、烏龍茶よりも紅茶や珈琲の店を紹介する(九份の茶藝館を紹介する写真で、茶藝スペースはいつも日本人でいっぱいだなどと書いてあるのは象徴的だ)。
もちろん私自身にとって、迪化街や故宮博物院が載っていないガイドは不便である。しかし、どちらも数ページ程度の紹介では何も分からないのも事実で、必要ならそれ専用のガイドを用意すればいいと考えることもできる。
とりあえず私はこのガイドを読んで、郊外の宿泊施設に関心をもった。何でも手広く扱うガイドブックは何の関心も与えてくれなかったのだから、これはこれでガイドブックとしての価値があるのだ。
翻って日本のガイドブックを見ると、ツアーで訪れる箇所とツアー客が泊まるホテルを丁寧におさえている。ツアー業者にとっては、「訪問先はガイドに載ってますよ」という質的保証の役割を果たすことだろう。しかし、ガイドブックを本当に必要とするのは、ガチガチのツアー客ではない。
もっと正直にいえば、日本のガイドブックの作り手は本当に台北に行きたいと思っているのか?、という疑問もある。行きたい人間ならもっと記事に優劣を付けるはずだ。
昔、某社の京都のガイドブックの編集現場に関わったことがあるが、そこでは全く観光の知識がない社員が、機械的に電話取材を続けていた。出来上がったガイドブックはつまらない上に間違いだらけだった(念のため言うが、最大手に属するガイドブックでの話だ)。
私の記憶にはそれが残っているので、つまらないガイドブックの裏には、退屈そうな編集の顔を思い描くことになる。台北なら台北の魅力を自分こそが紹介してやろうという、野心と自信が読み取れるガイドブックを、願わくば手にしたいものである。
※同時に買った別の台北ガイドについて、別途記事を書く予定。そちらも併せてお読みくだされ。
2010/03/18
祀典大天后宮(三) 寧靖王府の俤(後編)
前後編シリーズ完結編。以前の記事はこちら。
・祀典大天后宮(一) 天上聖母の宮概説
・祀典大天后宮(二) 寧靖王府の俤(前編)
正殿の裏側に位置する捲棚拝廊。なお捲棚とは、中脊樑(ありていに言えば大黒柱か)がない建築様式だ。ここには三官大帝が祀られている。天地水の三界の神である。
「一六霊枢」の扁額は同治年間(1862-74)のもの。『台湾廟宇図鑑』や『台南歴史深度旅遊』では「古拙」で見るべきものがあると記しているが、果たしてどうだろう?
大帝像が祀られる空間の左右に見える木彫は神龕の扉である。三川門のデザインにもあった夔龍に花瓶、牡丹が組み合わされている。
そして後殿。一般的にも後殿には正殿の祭神の父母が祀られるが、ここでも媽祖の父母を祀る。聖母の父母だから「聖父母庁」なわけである。
ここは、寧靖王宮の後庁であったとされる。
向かって左の壁の絵は、かなり劣化しているが潘麗水の「木蘭従軍」だという。
なぜここに木蘭なのかは、いろいろ意味深である。異民族と戦った男装の麗人の物語は、異民族に支配されている時ならば、抵抗のシンボルとなる。しかし恐らくは国民党統治時期の作だから、清や日本への抵抗というのはリアルではない。潘麗水がよほど国民党嫌いだったら……。
後殿の内部。どうも見るだけで気分が沈むのは、位牌のような神主牌のせいだろうか。神像なら気にならないのだが……。
まぁここに伝わる出来事を考えれば、それぐらいがふさわしいのかも知れない。
後殿は、寧靖王(朱術桂)と妃らが自殺した場所とされる(神主牌の中には寧靖王の碑位も混じっている)。
1683年(鄭氏政権では永暦37年)に、清軍は総攻撃をかけた。鄭氏政権は既に三代目の鄭克塽になっていたが、あっさり降服してしまったことは金庸『鹿鼎記』でも有名だ(日本では有名か?)。
この時期の資料はいくつかあるようだが、たとえば『福建通志』には次のようにある。
二十二年五月:澎湖港有物、状如鱷魚、長四五尺、沿沙而上、鳴声嗚鳴。居民競焼楮銭、送之下海。是夕復、登岸死焉。是月、大水土田冲陥。
夏六月:靖海将軍侯、施琅帥師、攻澎湖、抜之。二十六夜有大星、隕於海、声如雷。
二十七日 明朱術桂、在台湾、聞大師取澎湖。遂具冠服、投繯。妻妾従死者五人。
秋八月 鹿耳門水漲、大師乗流入。台鄭克塽帰誠、老幼歓迎台湾平。
十一月雨雪氷堅寸余。[台上気熱従無霜雪、八月甫入版図、地気即自北而南、運属一統故也。](『福建通志』巻第六十五)
六月に施琅が澎湖諸島を陥すと、それを知った朱術桂は二十七日に投繯(とうかん、首吊り)した。そして妻妾の五人(五妃廟の五人)が従ったとある。八月に、鹿耳門の水位が上がったのに乗じて施琅の軍は台南突入、鄭克塽は降服した。
上の書にはその程度しか書かれていないが、『増補大日本地名辞書』などによれば、死を決意した寧靖王が妃らにそれを告げると、まず妃妾が後殿の位置にあった後庁の梁(はり)で首を吊ったとある。その後、王は辞世の句を詠んで同じく首を吊った。
後殿の壁の向かって右側(つまり殿内の左側)にある書。この書の解説はあまりなされていないようだ。
最後は、後殿の隣にある観音殿。ここは寧靖王府の監軍府であったという。
死を決意した寧靖王は、資産を住民に分配して、王府を庵と改めた。その庵の本尊として観音像を安置したのが、この堂の成り立ちと伝えられる。その辺の伝承からは、寧靖王には媽祖を祀るつもりがなかったと読み取れるが、まぁどうだろうか。
航海の神である媽祖を祀るようになったのは、台湾平定に感謝した施琅によるものという。忌まわしい地の記憶を封印するに格好の神だったには違いないが、観音を主祭神にしても良かったのでは、と思えなくもない。まぁ他の寺廟でも観音はオマケの扱いだから、事情がどうであれ結局はこうなったかも知れないけど。
そんなわけで大天后宮についての前後編はこれにておしまい。
参考文献としては、本文中に挙げた『台湾廟宇図鑑』『台湾歴史深度旅遊』『大日本地名辞書』のほか、(電子版)四庫全書などを使っている。中央研究院の漢籍電子文獻資料庫内にある「臺灣文獻叢刊」も一部は参照したが、量が多すぎて持て余した。本気で研究するなら最低限見ておくべきだろう(今のところ、ここは趣味の範疇でござる)。
ご意見ご感想、間違いの指摘などあれば、コメントもしくはメイルでどうぞ。
・祀典大天后宮(一) 天上聖母の宮概説
・祀典大天后宮(二) 寧靖王府の俤(前編)
正殿の裏側に位置する捲棚拝廊。なお捲棚とは、中脊樑(ありていに言えば大黒柱か)がない建築様式だ。ここには三官大帝が祀られている。天地水の三界の神である。
「一六霊枢」の扁額は同治年間(1862-74)のもの。『台湾廟宇図鑑』や『台南歴史深度旅遊』では「古拙」で見るべきものがあると記しているが、果たしてどうだろう?
大帝像が祀られる空間の左右に見える木彫は神龕の扉である。三川門のデザインにもあった夔龍に花瓶、牡丹が組み合わされている。
そして後殿。一般的にも後殿には正殿の祭神の父母が祀られるが、ここでも媽祖の父母を祀る。聖母の父母だから「聖父母庁」なわけである。
ここは、寧靖王宮の後庁であったとされる。
向かって左の壁の絵は、かなり劣化しているが潘麗水の「木蘭従軍」だという。
なぜここに木蘭なのかは、いろいろ意味深である。異民族と戦った男装の麗人の物語は、異民族に支配されている時ならば、抵抗のシンボルとなる。しかし恐らくは国民党統治時期の作だから、清や日本への抵抗というのはリアルではない。潘麗水がよほど国民党嫌いだったら……。
後殿の内部。どうも見るだけで気分が沈むのは、位牌のような神主牌のせいだろうか。神像なら気にならないのだが……。
まぁここに伝わる出来事を考えれば、それぐらいがふさわしいのかも知れない。
後殿は、寧靖王(朱術桂)と妃らが自殺した場所とされる(神主牌の中には寧靖王の碑位も混じっている)。
1683年(鄭氏政権では永暦37年)に、清軍は総攻撃をかけた。鄭氏政権は既に三代目の鄭克塽になっていたが、あっさり降服してしまったことは金庸『鹿鼎記』でも有名だ(日本では有名か?)。
この時期の資料はいくつかあるようだが、たとえば『福建通志』には次のようにある。
二十二年五月:澎湖港有物、状如鱷魚、長四五尺、沿沙而上、鳴声嗚鳴。居民競焼楮銭、送之下海。是夕復、登岸死焉。是月、大水土田冲陥。
夏六月:靖海将軍侯、施琅帥師、攻澎湖、抜之。二十六夜有大星、隕於海、声如雷。
二十七日 明朱術桂、在台湾、聞大師取澎湖。遂具冠服、投繯。妻妾従死者五人。
秋八月 鹿耳門水漲、大師乗流入。台鄭克塽帰誠、老幼歓迎台湾平。
十一月雨雪氷堅寸余。[台上気熱従無霜雪、八月甫入版図、地気即自北而南、運属一統故也。](『福建通志』巻第六十五)
六月に施琅が澎湖諸島を陥すと、それを知った朱術桂は二十七日に投繯(とうかん、首吊り)した。そして妻妾の五人(五妃廟の五人)が従ったとある。八月に、鹿耳門の水位が上がったのに乗じて施琅の軍は台南突入、鄭克塽は降服した。
上の書にはその程度しか書かれていないが、『増補大日本地名辞書』などによれば、死を決意した寧靖王が妃らにそれを告げると、まず妃妾が後殿の位置にあった後庁の梁(はり)で首を吊ったとある。その後、王は辞世の句を詠んで同じく首を吊った。
後殿の壁の向かって右側(つまり殿内の左側)にある書。この書の解説はあまりなされていないようだ。
最後は、後殿の隣にある観音殿。ここは寧靖王府の監軍府であったという。
死を決意した寧靖王は、資産を住民に分配して、王府を庵と改めた。その庵の本尊として観音像を安置したのが、この堂の成り立ちと伝えられる。その辺の伝承からは、寧靖王には媽祖を祀るつもりがなかったと読み取れるが、まぁどうだろうか。
航海の神である媽祖を祀るようになったのは、台湾平定に感謝した施琅によるものという。忌まわしい地の記憶を封印するに格好の神だったには違いないが、観音を主祭神にしても良かったのでは、と思えなくもない。まぁ他の寺廟でも観音はオマケの扱いだから、事情がどうであれ結局はこうなったかも知れないけど。
そんなわけで大天后宮についての前後編はこれにておしまい。
参考文献としては、本文中に挙げた『台湾廟宇図鑑』『台湾歴史深度旅遊』『大日本地名辞書』のほか、(電子版)四庫全書などを使っている。中央研究院の漢籍電子文獻資料庫内にある「臺灣文獻叢刊」も一部は参照したが、量が多すぎて持て余した。本気で研究するなら最低限見ておくべきだろう(今のところ、ここは趣味の範疇でござる)。
ご意見ご感想、間違いの指摘などあれば、コメントもしくはメイルでどうぞ。
2010/03/14
祀典大天后宮(二) 寧靖王府の俤(前編)
台南の中心部には五つの一級古蹟(文化資産保存法に基づき1992~1997年に指定されたもの)が存在する。安平の二つを加えると、全20箇所のうち7つを台南で占めていたわけだ。
中でも赤嵌楼、祀典武廟、祀典大天后宮の三つは、ほとんど隣り合っているというほど近接している。なので日本の観光ツアーのコースに入ることもあるようだ。
ただ、オランダと鄭成功ゆかりの赤嵌楼、日本人でもだいたい知ってる関帝廟の祀典武廟に対して、祀典大天后宮は分かりにくい。見た目も、写真の通り地味である。
しかし大天后宮は、スルメのようにじわじわと興味がわいてくる地である。どれだけ知識を得られるかが、その辺の鍵となろう。過去二度の台南旅行の総仕上げとして、ちょっと気合いを入れて書いてみたい。
※一級・二級・三級という等級制度は、現在の法律では国定・その他(市定・県定)の二種になった模様(日本語版wikipediaの記述は正確でない)。二級=省定だったのだが、台湾省の凍結もあって廃止、二級古蹟だった分は一級と統合されて国定古蹟とされているようだ。
上の写真を地味と言ったが、実は沢山の見所がある。
たとえば石段。よく見ると彫刻が施されているのが分かるだろう。泉州から船で運んだ石に、わざわざこんな細工まで施したのは、「祀典」故である。
ちなみに「祀典」とは、ここの祭礼が清の官祭であったことを意味する。つまり台湾を代表する廟宇として、国家が祭祀を行ったという格式の高さを、さまざまな装飾で示しているわけだ。
門の左右に立つ石の柱は龍柱。龍柱そのものはけっこう色々な廟宇にあるけれど、ここの龍柱はかなり立派なものだ。内部にもあるので、後で紹介するぞ。
開け放たれた扉の左右にある長方形の木彫は、夔龍拱磐。二柱の夔龍(きりゅう)と五隻のコウモリがデザインされており、コウモリの数は五福を招く意味がある。
※コウモリの数え方は諸説あるが、それなりの本では「隻」が多いので、ここでもあえて「匹」や「羽」は使わなかった。「隻」は二つということだから、羽が二つの蝶なども同様に数えるようだ。
門をくぐって中へ。大きな石碑が壁に埋め込まれている。
これは平台紀略碑といい、康煕22年(1683)に建立された。台湾でも最古に属する碑である。内容はまぁ名前の通りで、清軍がどうやって鄭氏政権を滅ぼしたかを記したものだ。
この石碑は、施琅が作らせたらしい。施琅はかつて鄭成功に従い、後に清軍に降服して台湾攻略の大将となり、征服後の台湾統治政策にも多大な影響を与えた人物である。「清軍によって台湾は解放された」という、内容の是非はここで問うても仕方ない、確かなのは、施琅がここの主を死に至らせた者であり、死後にわざわざこんな石碑を置かせたということだ。
拝殿と正殿の間には大きな段差がある。この奥にもいくつかの段差があるが、それらはかつてここが海辺だった頃の、台南の地形の名残りなのだという(三川門の前は海だった)。
で、なんか顔が見えるわけだ。
これも龍の一種である螭首(ちしゅ)。孔子廟にもついていた顔だ。
天后廟にはあまりそぐわないこの首こそが、ここの前身であった寧靖王宮の痕跡ではないかという説がある。
この記事のタイトルでも触れたように、この天后宮の地は、明の寧靖王の住んでいた場所である。鄭成功に連れられて台南に渡った寧靖王(朱術桂)は、即位はしていないので明の皇帝というわけではないものの、鄭氏政権の存立の根拠であった。
諸外国はあくまで鄭経らを王と呼んでいたようだし、寧靖王は結局のところは傀儡に過ぎない。しかし台湾の歴史上、非常に重要な人物であったことに変わりはない。
正殿に立つ龍柱。大天后宮には写真のような説明板があるのだが、そこにはここが寧靖王宮だった……と書いてある。
実際には道光年間(1820-50)の作らしいので、あまり関係ないはず。何でも寧靖王宮に結び付けるきらいがあるのは、伝説の地にありがちなことである。
そんなわけで正殿の御本尊。
この位置が寧靖王の正堂だったという話は、どこまで本当なのだろうという疑問はある。ただし、既に紹介したようにここは段差が激しいので、再建するにせよ三川門、拝殿、正殿それぞれの位置関係は動かないのかも知れない。
大天后宮はまだ奥に続いているので、(三)ではそちらを紹介する(同時に書き進めている)。なお、以前の紹介記事(一)はこちら。写真はあまり重複していないので、併せて御覧くだされ。
2010/03/13
一瞬の捷運板南線
台北落ち穂拾いその3。やはり一度ぐらいは捷運(MRT)に乗っておくべきかと思い、龍山寺~台北間を乗車した。あっという間だ。
ここは龍山寺駅の改札である。龍山寺から駅までは、近いようで意外に遠い。ホームが地中深いのもマイナスだ。総じて捷運に対する評価は芳しくない。まぁ安いタクシーよりも遙かに安いんだから、文句を言ってもしょうがないか。
ホームと車両を見下ろす。
車両はとにかく幅が広い。そこにオモチャのようなプラスチック椅子が申し訳程度に配置されているから、これに乗って旅行ってのは辛い。あくまで安い移動手段と割り切るべきだろう。
なお、議会で変更が議論されているらしいが、現時点では飲食禁止だ(罰金だぜ)。我々の乗車時間は5分ほどだから、別に何の問題もない。しかし水ぐらい飲める方がいいのでは、と思う。そこまで厳禁しないとゴミ屋敷になってしまうというなら仕方ないけどさ。
台北駅の地下通路。我々は板南線の改札を抜けて、高鐵駅へ向かったわけだが、はっきり言ってかなり遠い。水平距離もそうだが、それぞれが地中深いのも問題だ。いっそ板橋で乗り換えた方が良かったのかも。
まぁこの時は初台北だったし、中心駅を見ておきたかったから、別に後悔はしていない。ただ、台湾の都市開発はずいぶん無秩序なんだなぁと感じた体験であった。
2010/03/11
見え隠れする総統府
台北落ち穂拾いシリーズその2。いずれ日付を変えて、他の台北関係記事に並べる予定である(2009.4~5の旅の記事は、訪問順に日付を調整してある)。
で、これは遠くから見えた瞬間にそうだろうなと分かった総統府。裏側からの写真だ。訪問予定地でもなかったし、このチラリズムで終わりだろうと思ったわけだ。
が、西門町をすぎて、龍山寺へ向かう途中で再び出会う。さっきよりでかく見えるが、さっきより遠くから撮っている。
当たり前のことだが、塔ってのは人を威圧するためにあるわけだ。仏教寺院の塔婆みたいに、中に誰も入らない(正確に言えば仏がいる)構造と、明らかに監視されているこれは比べられないなぁ、と思う。
これに比べりゃオモチャのような台南の塔ですら、決して好きな建物ではないのだ(そっちの記事にも書いたが、「119」でだいぶ救われている)。
国立台湾博物館(二二八和平公園)
次の台湾行きは諸事情で台北中心になりそうなので、昨年の旅行から落ち穂拾い。台北駅から歩いてすぐの国立台湾博物館(二二八和平公園)である。
この時は時間が非常に限られていたので、内部の見学はなし。だからあえて掲載せずにいた写真だったりする。
まぁそれ以前に、初めての台湾でいきなりタクシーから放り出されて(普通に金払って降りただけなので念のため)、戸惑いの中で眺めた景色だ。青信号なのに車が全く遠慮しない台湾の交通事情に慣れていなかったので、とにかく余裕がなかった。
公園の中は必ずしも南国って感じじゃなかったのも、ちょっと戸惑った記憶があるよウッシッシ。
まぁしかし、ここは車もバイクも突っ込んで来ないな、と思ったらちょっとほっとしたもんだよウッシッシ(別に本中華のオッサンに敬意を表したわけではない。ノリでやったことだ。今は後悔している)。
近くにあった銀行も、何だか立派なので撮影していた。どうやらかつての日本勧業銀行だったようだ。
ちなみに、台南の旧日本勧業銀行も撮影しているぞ。こちらを見ておくれやす。
2010/03/04
「よゐこ部」食物部で台湾を歩く回を見る
毎日放送制作の「よゐこ部」で、二週にわたり台湾特集が組まれた。関西では既に放送が終わったが、どうやら関東ではこれからのようだ。なのでまぁ一応ネタバレになるだろう。ばれて困るような番組ではなさそうだけどさ。
ちなみに普段の番組は見ていない。たまたまビデオの番組検索で見つけて録画したわけである。
※一応ネタバレなのでちょっと行を開けてみる。
企画内容は、台北の街をちょうど一万歩ぶん歩き、その歩数分の約300Kカロリーを食べるというもの。メンバーはよゐこの二人、安田大サーカスの団長(正直言って知らなかったが、とある事情で判明)、女の人(たぶんアナウンサー)だ。
まず歩き始めたのは永康街。麺包、牛肉麺、胡椒餅などが紹介され、度小月と鼎泰豊にも入った。夜逃げしたカキ氷店も予定に入っていただろうが、もちろん廃墟は紹介されていない。
ちなみに、メンバーは食えないので「試食人」が代わりに食ってみせる。この試食人というのが、台湾のテレビ番組に出てる日本人タレント(二人)であった。大富でやってる何かのバラエティで日本人が出演しているのを見たことはあるが、その時の人が含まれていたかはさだかでない。そもそも、この番組でも出演はしたけれど、全く記憶に残っていない。
記憶に残らないといえば、全編を通して出演していた青木由香も酷い扱い。「作家」と紹介された時は思わず笑ってしまったが、その後はただの通訳で、ほとんど画面に映らなかった。まぁあんな程度で「作家」と呼ばれたんなら本望かも知れないが(derorenはもともと評価していないので辛口)。
その後、光復南路方面まで歩いて、仏跳牆やらを食って一回目の放送は終わり。翌週はMRTで士林夜市に行き、結局そこで一万歩となった。ほぼ予想通りの内容だ。
四人で1200kカロリーという計算で、魯肉飯、雲呑麺、蚵仔煎、水餃子、臭豆腐なんぞをオーダー。臭豆腐で騒いでいたけど、そんなに知らないもんなのかね? というか、揚げた臭豆腐なんて大した臭いでもないだろ、と思う。
感想としては、よゐこって老けたなぁという感じ。そもそも、自分の中でよゐこは「なめくじ」だった頃の記憶からほとんど動いていないので、有野の顔にビックリしたわけさ。
どうでもいいって? どうでも良くはないのだ。なんだかんだ言って、終わってみたら他の出演者はほとんど記憶に残らない。それは番組がよゐこを大物タレントとして映し続けるからだと思われる。と同時に、よゐこだけにスポットが当たることで、どうにか見れる番組になっている。
一番の見所は、台湾のテレビ局に逆取材されてニュースになった部分かな。まぁ人口のわりにメディアが多すぎる国だから、取材はあるだろうなぁ、という感じ。それ以前に、たぶん番組自体が台湾から招待されたものなんだろうけど。
実はこの本編とは別に、平日午前中のとんでもない時間に番外編が放送された。幸いビデオで検索して録画出来たけど、これが面白くないのだ。
こっちは上で誰だか分からなかった安田大サーカスの団長と、女性タレントの二人だけで、花蓮からサイクリングという内容。これがどうにもつまらなくて、早送りしてしまった。
なんでもいいから台湾分を補給したい人はこれも録画したらいいと思うが、まぁ見る価値はない。
全編を通して、全く現地の発音を使わないのは気になった。
特に牛肉麺の店では、店員らがみんな「ニョーローミェン」と繰り返し言っているのに、出演者は頑なに「ぎゅうにくめん」と言い直した。臭豆腐を「くさどうふ」と言い出したのにはちょっと呆れた(ナレーションは「しゅーどうふ」)。
単にそういう取り決めなのかも知れない。しかし魯肉飯だけは終始「ルーローファン」だったのだ。納得いかないねぇ。
ちなみに普段の番組は見ていない。たまたまビデオの番組検索で見つけて録画したわけである。
※一応ネタバレなのでちょっと行を開けてみる。
企画内容は、台北の街をちょうど一万歩ぶん歩き、その歩数分の約300Kカロリーを食べるというもの。メンバーはよゐこの二人、安田大サーカスの団長(正直言って知らなかったが、とある事情で判明)、女の人(たぶんアナウンサー)だ。
まず歩き始めたのは永康街。麺包、牛肉麺、胡椒餅などが紹介され、度小月と鼎泰豊にも入った。夜逃げしたカキ氷店も予定に入っていただろうが、もちろん廃墟は紹介されていない。
ちなみに、メンバーは食えないので「試食人」が代わりに食ってみせる。この試食人というのが、台湾のテレビ番組に出てる日本人タレント(二人)であった。大富でやってる何かのバラエティで日本人が出演しているのを見たことはあるが、その時の人が含まれていたかはさだかでない。そもそも、この番組でも出演はしたけれど、全く記憶に残っていない。
記憶に残らないといえば、全編を通して出演していた青木由香も酷い扱い。「作家」と紹介された時は思わず笑ってしまったが、その後はただの通訳で、ほとんど画面に映らなかった。まぁあんな程度で「作家」と呼ばれたんなら本望かも知れないが(derorenはもともと評価していないので辛口)。
その後、光復南路方面まで歩いて、仏跳牆やらを食って一回目の放送は終わり。翌週はMRTで士林夜市に行き、結局そこで一万歩となった。ほぼ予想通りの内容だ。
四人で1200kカロリーという計算で、魯肉飯、雲呑麺、蚵仔煎、水餃子、臭豆腐なんぞをオーダー。臭豆腐で騒いでいたけど、そんなに知らないもんなのかね? というか、揚げた臭豆腐なんて大した臭いでもないだろ、と思う。
感想としては、よゐこって老けたなぁという感じ。そもそも、自分の中でよゐこは「なめくじ」だった頃の記憶からほとんど動いていないので、有野の顔にビックリしたわけさ。
どうでもいいって? どうでも良くはないのだ。なんだかんだ言って、終わってみたら他の出演者はほとんど記憶に残らない。それは番組がよゐこを大物タレントとして映し続けるからだと思われる。と同時に、よゐこだけにスポットが当たることで、どうにか見れる番組になっている。
一番の見所は、台湾のテレビ局に逆取材されてニュースになった部分かな。まぁ人口のわりにメディアが多すぎる国だから、取材はあるだろうなぁ、という感じ。それ以前に、たぶん番組自体が台湾から招待されたものなんだろうけど。
実はこの本編とは別に、平日午前中のとんでもない時間に番外編が放送された。幸いビデオで検索して録画出来たけど、これが面白くないのだ。
こっちは上で誰だか分からなかった安田大サーカスの団長と、女性タレントの二人だけで、花蓮からサイクリングという内容。これがどうにもつまらなくて、早送りしてしまった。
なんでもいいから台湾分を補給したい人はこれも録画したらいいと思うが、まぁ見る価値はない。
全編を通して、全く現地の発音を使わないのは気になった。
特に牛肉麺の店では、店員らがみんな「ニョーローミェン」と繰り返し言っているのに、出演者は頑なに「ぎゅうにくめん」と言い直した。臭豆腐を「くさどうふ」と言い出したのにはちょっと呆れた(ナレーションは「しゅーどうふ」)。
単にそういう取り決めなのかも知れない。しかし魯肉飯だけは終始「ルーローファン」だったのだ。納得いかないねぇ。