玉皇上帝を祀る天壇。どうも焼肉がちらつく頭で拝拝。
もとは鄭成功が台湾を支配した後に、ここに天公埕を築いた場所である。それは寺廟の類ではなく、周囲よりやや標高のあるこの地に台を造り、天地の神々を祀ったものだ。
天地の神々を祀るのは、地上の皇帝。つまり寧靖王を奉じた鄭氏政権は、明王朝を復興した証として、この地を選んだのである。
『台南歴史深度旅遊』などによれば、そうした歴史があったために台南の人々は、清の統治に代わった後も、天公の壇をきちんと造りたいという欲求をもっていたという。しかし天公埕が反清の象徴であったことは明白であり、咸豊4年(1854)まで許可されなかった。
その代わりに、建立された天壇(天公壇)は清朝と台南人の、官民共同の廟となった。台湾の天公廟では唯一のことだそうな。
現在の建物は、立派な造りだが古くはない。
そして、「一」扁額は非常に見落としやすい場所にある(上の写真では見えない)。
玉皇上帝は、いわゆる道教的世界の最高神である。神像ではなく、文字だけの牌位が中央に置かれている。もっとも抽象度の高い神格なので、ビジュアル化されないということだろうか。
結局、この時は府城三大名扁「一」を見逃していた。そちらの紹介は
再訪(二)に載せたので、併せて御覧くだされ。
そんなわけで台南の数ある廟の中でも重要な場所だが、我々が訪れた時は、それほど賑わってる感じでもなかった。まぁ天壇に観光客など必要ないけどさ。
※大幅に書き直した。なお2009.8再訪時の記事が
(二)・
(三)とあるが、そちらも紹介内容に不満があるので、順次書き直している。(三)は長編になったので併読願いたい。
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