Pages
▼
2012/06/24
修復された開基武廟
なんだかんだと、ここも毎回訪問している開基武廟。大天后宮を出てどこかに行こうとすれば、必ず通りかかるのだから仕方がない。
しかし今回は、これまでとは異なっている。そう、長らく続いていた社殿の修復工事が終わったのである。
ガレージをすり抜けていた過去と、写真のような立派な入口をくぐるのでは、同じ廟といっても全然印象が違う。台湾最古の関帝廟としては、やはり小さいけれど、格式のある門だ。
門には門神がいない。祀典武廟や大天后宮もそうだが、社格が高いとこういう形になるそうな。
ともかく、全体的には新築みたいになった。古びた建築が好きな人はがっかりだろうが、装飾を剥がれ落ちたままで放置するなんて、神仏に失礼ではないか、と思うべきだ。
なお、扁額には光緒丙子年(1876)とある。これとは別に、再建の寄付者が掘られた碑があったが、そちらも同年だ。この年に大規模な修復がなされたのは確かだろう。
ただし、現在の姿はもっと新しいものではないかと思われる。第二次世界大戦で、連合軍の空襲に遭ったらしいので。
初めて足を踏み入れた、正殿の内陣。
狭くて奥行きのある、一般的な廟の構造だ。
赤ら顔の関帝は、なかなかいい表情だ。『三国志演義』の関羽って感じだ。
というかまぁ、神像を元にビジュアルが考えられて流通しているってのも不思議な話だよね。
馬使爺と馬。これを見ても、赤兎馬は連想できない。
我々が訪問した時、西洋系の外国人男性が、この像を写真に撮っていた。そこそこマニアックな廟にやってくるほどだから、きっとあの男性は、日本と台湾の区別もついてるに違いない。
……現在はインターネットでたやすく他国の情報が手に入る時代。
それこそSteely Dan"Aja"みたいに、東アジア各国がごちゃ混ぜになった「アジア」なんて、もう笑い話だよね。おそらくは。
下壇将軍(虎爺)。後ろのお面も気になる。
おまけで、後殿の虎爺。過去の訪問では、後殿しか見ていないので、初めて比較検討する栄誉を得たぞ。比較する意味もないけど。
それにしても、台南の(あるいは台湾の)関帝廟は、財神の要素が希薄だと思うのは私だけだろうか。守護神、そして学問の神という印象が強い。
日本で流通する一般常識は、特に道教関係では全く役に立たないと、今さらのように思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿