Pages
▼
2012/04/03
忠安宮(台南市北区)
昼食後のtomopeeが、開元路を行く。
台湾的アーケードは、もちろんバリアフリーではない。ベビーカーを通せる区間はごくわずかしかなかった。
日本でも、derorenが幼かった頃の町の歩道は、常にいろいろなもので占拠されていた。はみ出し自販機が社会問題になって、歩道から撤去されたのは、それほど古い話ではない。
台湾は、今がまさに車優先社会。歩行者が安心できる道が極端に少ない点では、交通事故死者を増やし続けていた、高度成長期の日本みたいなものかも知れない(derorenは、さすがにその頃は知らないゾ)。
台南の魅力にはまったから、derorenはこんなブログを書いている。しかし、道路交通関係だけは評価できない。路上駐車を除けながらベビーカーを押さなきゃいけない街には、頼まれても住むことは難しい。
ともかく開元路を少し歩いて、細い路地に入る。すると小さな廟があった。
まぁ読み物なので「あった」と書いたけど、最初からここを目指していた。全く無名の廟だが、ストリートビューで見つけてしまった以上は、寄るしかないのだ。
さて、ここは忠安宮という。古蹟指定などはされていないが、公式サイトがあったので、そこを読めば由緒は分かる。
内部の様子。tomopeeの稼働時間もあるので、大急ぎで覗いただけだ。
主祭神は池府千歳。王爺廟の一つである。脇陣には福徳正神と註生娘娘を祀る。
上で紹介した公式ブログによれば、中央の池府千歳は威霊王と呼ばれる神。そして、左に頭部だけ見えてる神は、これも池府千歳だが、由来が異なるそうな。
この小さな神像は、大陸にある元威殿という廟の神を分霊したものという。ただし、元はここに居た神ではなく、五條港方面の普済殿の祭神であったらしい。
普済殿はかつて訪問している。確かに主祭神は池府千歳であった。そちらの記事では、泉州の神だと紹介されていた。
さて、普済殿に安置されたこの神は、日本統治時代になって受難の身となる。
植民地政府は皇民化政策の一環として、台湾在地の信仰を破壊する。そこで、日本における廃仏毀釈と同様の行為を行わせた。普済殿の神は廟内から追い出され、信徒の自宅に隠されたという。その信徒の自宅は、開元寺の近くであった。
王爺信仰は、植民地政府が目の敵にした民間宗教者たちの地盤だし、とりわけ激しい弾圧があったとしても不思議ではない。
ともかく、この神像は表舞台から消え、いつしか忘れ去れていた。
ところが、日本統治が終わった後に、とある青年が突然神がかり「我は普済殿の池府千歳である」と語り出す。そこで人々は驚いたが、胡散臭い鬼神が騙しているのだろうと、誰も信じなかった。
すると青年は鍋を用意し、油を注いで火にかけた。そして、十分に熱した鍋に両腕を突っ込んだ。両腕は油で揚がってとんでもないことに……なるはずだったが、しかし彼の両腕は全くの無傷だったという。
そこで人々もこれを信じ、大陸伝来の由緒ある池府千歳として祀るようになったそうな。
とても面白い話なので、長めに紹介してみた。原文はもっと詳しいので、正確を期したい人はそちらを読んでほしい。
廟の向かいには、七星橋があった。何の飾りもない状態なので、北斗七星を連想するのは難しい。
ありふれた路地の廟にも、神が出現して祀られるプロセスが語られている。こういう土地の空気に触れるだけでも、台南を訪れる価値はあると思う。
まぁこれは、一般的な観光客の感想ではないけどね。
0 件のコメント:
コメントを投稿