開山路と府前路の交差点は、城隍街と建業街を合わせた六叉路となっている。非常に複雑なその交差点の周囲に、延平郡王祠、臨水夫人媽廟、そしてこの馬公廟が建っている(2009年もここを通ったが、工事中だった)。
府城の南部には馬兵営があったので、その関係かとも思ったが、あくまでここは馬仁(輔順将軍)を祀る宮だそうな。
中に入ると、目立つ扁額がある。陳水扁のものだ。
本当は奥にある蒋元枢の「観其所感」の方が価値があったのだが……。
この廟の主祭神の輔順将軍とは、開漳聖王(陳元光)に従った四将軍の一人である。
熱心なウチの読者なら、この説明を最近読んだはずだ。そう、
総趕宮の総趕爺の正体として挙げられていた輔義将軍(倪聖芬)の同僚ということになる。
廟にあったパンフレットによれば、輔順将軍は人間時代には馬仁といった勇将で、陳元光の屯田事業を支えていた。そして、陳元光が岳山の役で敵兵に囲まれた際には、斬り込んで彼を救ったが、自身は命を落としてしまう。しかし死してなお、彼は馬に乗ったまま倒れなかったという。
その終焉はまるで日本でいうところの弁慶のようだ。まぁ『三国志演義』の典韋の方が近いか。典韋は曹操を助けたけど、弁慶は主君を助けられなかったんだよな。
左右におられる二人も、
総趕宮と同じだ。
例によって謝将軍そっくりな廬清爺。
韓徳爺どえーす。二日連続で逢えてまんもすらっぴー?
まぁ古めかしい言葉遊びに興じてしまうほど、書くこともない。といいつつなぜか続くぞ。
前略
返信削除私の妻は 台湾彰化県出身で陳といいます。
昨年暮れ実家に行ってきましたが、実家の父が住んでいた
(幼少のころから、成人するまで)陳家詞が日本に来る前には
あったので、それを探しに行ったけど、道路の拡張などで、
現在なくなっていた。しかし 少し遠い親戚の人が先祖探しを
していて、日本に帰国前日に会うことができ、彰化にも
聖王廟、別名威恵宮が先祖になると教えられ、行ってきました。
それなので 陳元光将軍のことが知りたくなり、いろいろ調べているうち、このページにたどり着きました。大変参考になりました。これからも、台湾のこと調べて発表してください。
本馬道悦 愛知県豊橋市 gmail:ja2ewa
>本馬道悦さん
返信削除ご丁寧なコメントをありがとうございます。
当ブログはderorenの乏しい知識と乏しい経験で書かれていますので、現地の方から得られる情報には及ばないと思いますが、お役に立てたのでしたら嬉しいです。
台湾人のルーツに対する感覚は、日本の私などが考えるそれと比べてずいぶん強固なものなのだなぁ、と思います。そういった部分の歴史は、正直言ってまだうまく整理し切れていません。
璋州人についても、何かの機会に触れる機会はあるかと思いますので、忘れた頃にでも覗いていただければ幸いです。