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2009/05/10
東嶽殿(一) 概説
ある意味では台南が世界に誇るべき東嶽殿。中国五山の東、泰山の神を祀る。『笑傲江湖』の泰山派は五山の中でもっとも活躍しなかった派であるが、この際あまり関係なかろう。
※この記事は勉強不足の時期に書いたものを、徐々に書き直しています。写真は2009.8、2010.5撮影分も混じっています。(二)以降も増補予定です。併せて御覧ください。
・東嶽殿(二) 枉死城
・東嶽殿(三) 幸福な人生を
・東嶽殿(四) 西の方へ・神界へ
・(五)は執筆予定
とにかく、ここを夜に拝拝したのは我々最大のミスといっていい。こういう強い神は、意味もなく会えば祟りを為す。日本でも荒魂は危険じゃないか。
訪れた時にも、中年女性が祈祷をうけている最中だった。コッソリ見学した。
なお中央の東嶽大帝は、「東嶽泰山天斉仁聖大帝」という正式名称だそうな。日出る国は日本国だったが、日出る方向、つまり東の神は生命を司るという。
東嶽殿は鄭氏政権に遡る古い廟である。
『台南歴史深度旅遊』や陳信聰『幽冥得度-儀式的戯劇観点』などによれば、鄭成功に従った福建の同安人が、身の安全を願って護持していた神を、小さな祠に祀ったのが始まりという。諸書には「嶽帝廟」の名で登場する。永暦27年(1673)に鄭経によって廟宇が建てられた。
この鄭経の行動について、陳信聰は次のように説明する。
この年、大陸ではいわゆる三藩の乱が起きたわけだが、鄭経はその一人の耿精忠と組んで大陸反抗を狙った。ただし三藩と鄭経の関係も微妙である。そこで鄭経は、自らが復明の中心となるべきことをアピールしようとした。
鄭経にとっての切り札は言うまでもなく寧靖王だが、彼は監軍であって皇帝ではない。そこで嶽帝廟を建てた。東嶽の泰山は、皇帝が封禅の儀式を行う場である。その泰山の神を祀る鄭経(寧靖王)こそ、三藩に対する盟主であるべき、という論理だ。
鄭経の目論見はともかく、この廟の成り立ちが「素朴な民間信仰」とは程遠いことだけは間違いない。
後殿の主祭神は酆都大帝。地獄の神である。酆都地獄は地獄の中の地獄で、もっとも救われない者が堕ちるらしい。
恐ろしい仏といえば地蔵だ。「お地蔵さん」なんて言えるのは日本だけじゃないか?
ここでの職掌は、地獄に堕ちた衆生を救うこと。
「旅名人」ガイドでも強烈なインパクトをみせる范将軍と謝将軍。
謝将軍の写真の左下が心霊写真風になっているのは、そこに写してる自分が写ってしまったので、ぼかしをかけただけである。ぼかしたら尚更嫌な感じになってしまった。
先の写真は奥まった一角にある像。対してこちらは正殿の右におられる謝将軍である。ベロ出し姿は、写真だけ見ればkawaiiかも知れない。
赤筋立てたら怖いっす。これは将軍ではないので念のため。
どうも甘羅らしい。なぜ甘羅なのだろう。
※追記
甘羅の存在は、対で祀られる彭祖と合わせて考えると分かりやすい。
秦の家臣として、十二歳にして外交使者となり成功させた甘羅は、若くして才能を発揮し、若くして死んだという。
対する彭祖。彼は700年生きたという仙人で、怪しい房中術なんかの伝承もあったりする。つまり、早死と長命が並んでいることになる。
とにかくここは、行くにしても昼にしよう。寿命を縮めたくなかったらね。
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