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2012/08/01
安平樹屋 再訪
およそ3年振りの訪問となった安平樹屋。もちろんtomopeeは初訪問だ。
今さら断わるまでもなく、1歳のtomopeeがこうして旅した記憶は、残りはしないだろう。しかし異国での様々な刺激が、彼の心の発達に何らかの影響は与えてくれたはずだ……と思うがどうだろう。
安平樹屋の概要は、以前の記事に書いたのでそちらを参照願いたい。
ここはイギリスの商社、徳記洋行の跡地である。白亜のコロニアル建築も残っていて、そちらも展示スペースとなっているが、正直海外から訪問するような内容ではない。
現在のメイン展示は安平樹屋、つまり商社の倉庫群である。
ここは有料施設で、大人は一人50元を払う。
そこから進んだ先の建物は、上の写真のように休憩スペースとなっている。売店もあり、台南土産はある程度揃っている。飲み物もある。トイレもある。
エアコンの効いたスペースは、赤子連れにとっては貴重だ。その気になれば、おむつ交換も出来るよ。
tomopeeもひとまず涼んでいる。この間に、hashiがお土産を買っていた。台湾にしては高めの玉井干しマンゴーや、樹屋の絵はがきなどを購入したと思われる(さすがにすべては把握していない)。
一通り買い物を済ませた後に、探険に出発だ。ベビーカーは売店のお姉さん(恐らく)に預けた。普通は入場券売り場の方がいいと思うぜ。
外に出ると、3年前とほぼ変わらない景色だ。
ちなみにこの先は、写真のように一部は木道になっているけれど、概ね地面を歩く。上から見下ろせるようにもなっていて、そこは階段ののぼりおりがある。ベビーカーでは難しいので、受付か売店に預けよう。
骨組となった倉庫に幹が絡み付き、気根が垂れ下がる。これが安平樹屋の基本である。
朽ちていない倉庫も一部にある。使用時期などの差もあろう。
ちなみに徳記洋行は現存する企業だったりする。ただし安平での営業は、日本統治時代に終了。ここの建物は製塩会社の手に渡り、そのまま戦後は台塩の所有となった。
安平を去った理由は、新支配者の日本が、貿易収入を得るために圧迫を加えたからである。徳記洋行自体が東インド会社の傘下にあった以上、追い出されるのは当然であったろう。
もちろん安平港が土砂で埋まって、使い物にならなくなったことも大きい。製塩会社が持て余した理由は、そちらが主要因かもしれない。
骨組だけになった側。
補強はしてあるけど、ガジュマルは今も生きているので、いずれは敗北するだろう。ガジュマルはそういう生き物なのだから仕方がない。
壁を覆い尽くす。
上から見る景色もなかなかいい。
というか、下は廃墟となった倉庫なので、基本的には暗い。それに対して、開放感があってとても良い。
見上げると、こんな感じで幹が絡まっている。いい景色でしょ。
煉瓦の壁にはり付く幹。
ただはり付いているわけではないぞ。
見所の一つがこれだ。壁を突き抜けてのびている。細いうちにすき間を通れば、やがてこうなって、将来は壁を破壊するわけだ。
tomopeeは何を思ったのか。両親は未だに彼のおしゃべりを解読できないので、詳細は不明である(だいぶ日本語っぽくなってきたけど)。
将来、何かの間違いで某ジ●リの映画でも観た時に、この記憶が蘇ったりするだろうか。「ぬぅ、初めて見た気がしないなぁ」とか。
その後、資料館となっている建物内も一応は見物して、何となく記念写真を撮ったりした。
安平古堡からここまでは徒歩5分程度。途中の道は日陰がなく、5分とはいえ嫌になるけど、安平でタクシーをつかまえるのは難しいので、歩くしかない。
でもまぁ、歩いただけの価値はある。子どもの教育にもいいと思う。たぶん。
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