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2012/06/12
久々の赤嵌楼
初回の旅で訪問して以来の赤嵌楼。寺廟と違って、中で何かが行われているわけではないから、何度も見学する必要性は感じなかったが、tomopeeは初台南だし、西華堂の尼さんに推薦されたし、せっかくだからと再訪。
なお、ここの表記は赤嵌楼と赤崁楼の二種あるが、上の額に従って前者に統一しておく。
日本語フォントで「崁」は使いづらいし、そもそもこだわって使い分けているとも思えないので。
※元々は、この地に住んでいた原住民の集落チイカムが語源。漢字では赤崁社と表記されていた。建物が赤いのは無関係でござる。
膝をついて助けを乞う像を造って、オランダに抗議されたいわく付きのヤツだ。まぁ正直言って、わざわざ造る必要があったのか疑問。
改めて訪問して気付いたが、ここの周囲はコノテガシワ(龍柏)だらけだ。
この木は台湾自生ではなく、国民党が持ち込んだと『福爾摩沙植物記』にある。王の象徴である「龍」の名を持つコノテガシワを、国民党政権は要所要所に植えた(故宮博物院の周囲とか)。それは要するに、中国の正統な王は自分だという意思表示なのだ……と。
鄭成功の大陸反抗を、国民党政権が利用したのは周知の通り。なるほどなぁ、と思う景色である。
tomopeeはhashiがだっこひもで抱えて見学。ベビーカーは受付に預けた。台南の有料観光施設(他に孔子廟、安平古堡、安平樹屋、億載金城)なら、だいたい可能ではないかと思う。言葉がしゃべれなくとも、たたんだベビーカーを見せれば意志は通じる。
文昌殿の魁星爺。まだお願いする年齢とは思えないが、一応tomopeeの今後などを願っておく。ついでに両親の頭の方も……。
さすが赤嵌楼だけあって、ここでは何組もの日本人観光客を見かけた。その一組に、魁星爺をえらそうに説明したのは、他でもないderorenである。
まぁしかし、自分たちが台南の人々に親切にされているから、自分も少しは貢献したいと思ったのは事実。京都でも、外国人観光客を見かけると声を掛けたくなってしまう。道案内と記念写真ぐらいなら、語学さっぱりなderorenにだってできるのだ。
奥まった場所にある城壁址。オランダ時代を偲ぶならば、ここに来ないと値打ちがない。
手をパチパチ叩いて、赤嵌楼に来た喜びをあらわすtomopee。まぁ叩いた理由は定かでないが、まだ言葉のしゃべれないtomopeeは、台南の人々にこうやって意思表示を続けていた。そしてderorenとhashiは、そんな息子をkawaiiと褒め続けていた。
思い返しても、途方もない親バカだ。しかし我々は、全く後悔していないぜ。
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