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2012/04/20
南鯤鯓代天府(一) 台湾最大の王爺廟
台南市北区のホテルから、北上すること1時間以上。全く予定になかった廟を訪れることができたのは、言うまでもなく台南の友人の皆さんのおかげである。感謝。
さて、行き先は台南市北門区(旧台南県北門郷)。嘉義県との境にあたる海沿いの小さな町だ。
台南付近の海岸沿いには、かつては砂洲で隔てられた浅い内海が連なっていた。鄭成功が台南入りした頃は、まだ船が入れるほどの深さがあったものの、その後も土砂の堆積は進み、どんどん浅くなっていく。そんな浅い内海は、塩田になったり養魚池になったりした。
ドライブの間、derorenはそんな養魚池が広がる景色を期待していた。しかし、やや内陸側のルートだったことを差し引いても、養魚池は少ない。手持ちの地図と比べても、明らかに減っている。
商業生産の塩田がなくなったのは周知の通りだが、魚介類の養殖も厳しいのかなぁ。エビやサバヒーや牡蠣が食えなくなったら寂しい……というのは飛躍し過ぎか。
いつものように話題がそれた。
上の写真は北門区に入った後に、窓ガラス越しに撮ったもの。小高い丘のような辺りに、一目で廟と分かる建物が林立している。それが目的地である。
巨大駐車場に車がびっしりのここは、南鯤鯓代天府。ちなみに南鯤鯓は地名だ。
そもそも鯤鯓は、内海を隔てる砂洲が島状になっているのを、海に魚が並んでいる景色に例えたもの。有名なのが台南市のそれで、一鯤鯓から七鯤鯓まで南北に連なっていた。その一鯤鯓が安平である。
もちろん多いのは車だけではない。ちょうど休日だったせいもあるだろうが、拝拝の人々や進香団であふれかえっている。
電光掲示が彰化県なのが紛らわしいが、これはたぶん、ここの進香団が来ているという表示だと思う。
代天府の文字が誇らしく掲げられる。
まぁ、このブログでは数々の代天府を既に紹介済みだ。要するに、天の神の代理として人間世界をパトロールする存在(王爺)であり、王爺廟ならどこにでも書かれてある。
よく似た「玉旨」(玉皇上帝の旨を承けた、という意味)も含めて、下世話にいえば、廟の権威づけである。ただし、台湾的な世界では、そのように命を承ける過程が具体的に語られるわけだが。
そんなわけで三川殿。この前に、二つ上の写真の建物がある。二つ上の方は、三川殿前のスペースに張り出し屋根を設けて、その外側を廟らしくデザインしたもの。手元にある『台湾廟宇図鑑』の写真にはないので、最近作ったものだろう。
台湾の廟宇では、いつも廟前のスペースで何か行われているから、そこに大きな屋根を架ける例も少なくない。ただし西羅殿のように、その屋根のせいで建物が見えなくなるのはちょっと残念だったりする。
日本の寺社なら、たぶん景観を守ることが優先されるので、こういうことは絶対にしないだろう。その辺、実利を重んじる台湾との違いが見えて面白い。
観光客にとっては、張り出し屋根なんてない方がいいのだから、この写真の沢山の人々も、大半は観光客ではなく拝拝目的と思われる。というか、観光客の動き方は拝拝の人々と違うから、すぐ分かるのよね。
入口で字数を費やしてしまった。いつも通り、ダラダラと紹介を続けて行くのでよろしく。
なお、正確には三川殿が写真中央の入口で、手前は龍門、奥が虎門。まぁこの辺の配置は、台北の龍山寺なんかと同じなので、ツアーで台北に行った人でも分かるかも知れない。
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