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2012/04/01
府城東城垣遺跡と小東門址、成功大学歴史文物館
移築された小西門の両脇には、いかにもそれらしく壁が続いている。
これは台湾府城の東城垣である。
城垣としての役割は、もちろん百年以上前に終えている。従って木々に覆われているが、それでも崩れていないのは、単なる土盛りではないからだ。
城垣は三合土(日本で言う三和土、つまり「たたき」)で固められている。府城全体をこれで囲っているのだから、かなりの大工事である。
このような形で造られたのは、乾隆53年(1788)のこと。小西門と同じ年だ。いずれ紹介予定の大東門も含めて、この年に府城全体の整備が行われたという。
そんな東城垣の南側に、小東門の址がある。
剥き出しの石組。たぶん本物なのだろう。
小西門と同時に造られた、同様の機能をもつ門だから、恐らく同様の姿であったはず。
小西門のそばに建つ、成功大学の歴史文物館。この建物自体は1976年のもので、別に古蹟ではないが、伝統的な瓦葺きでなかなか悪くない。
ここは大学の歴史系学部の管理らしく、我々が入った時には、石器時代にはじまる考古資料が展示されていた。
ただし展示はごく小規模なもので、近所の小学生が見学する程度の内容。観光客がわざわざ足を運ぶ場所ではない。無料で、不定休らしい。
歴史文物館の前の広場には、いくつかの遺物が置かれてある。そちらの方が興味深い。
これは石敢当。沖縄でよく見かけるもので、台湾、大陸の海沿いなどに共通する。台南では、以前にもどこかで見たような気がする。
沖縄では道路の角なんかにこれが立っていて、直進する悪鬼の類を封じる意味がある。悪鬼が直進するという考え方は、平安時代の貴族たちがやっていた方違えの風習などにも共通しており、中国を中心に広く存在していたものだろう。
なお、台湾で考えた場合には、土地公の一種とみることもできる。総爺古街のように、街の前後に土地公廟をもつ構造は、境界に立つ神の力で悪鬼の類の侵入を防ぐものだろう。
日本で境界……といえば道祖神。まぁ要するに、つなげていけば様々な信仰に結びつく石である。
旗桿夾石。よく寺院の前にあるヤツだが、功績のある人の家にも建てたそうな。
これは文字の通りで、小南門の門額だ。小西門、小東門遺跡に続いて、府城小門の三つ目だ。
ちなみに小南門は延平郡王祠の南東にあったもので、その名を冠した城隍廟のみが現存する。元は鄭氏政権の頃は、寧南門があったそうな。
割れて半分以上がなくなっているが、小南門と同じ系統のモノなのは分かるだろう。
これは本来、鎮北門とあったもの。鎮北門とは小北門の別称であり、これで府城小門四つすべて揃ったことになる。
ちなみにこの門額は、1980年に校舎を建てようとしたら、土の中から発見されたらしい。
牛埔定界示禁碑。牛埔は地名で、嘉義方面のどこかのものらしいが、詳細は不明と説明板にある。
内容は、要するに農地などの境界を定めたもの。勝手に開墾して土地を広げるな、というもののようだ。原住民の土地を侵食し続けた歴史のなかで、一応は禁制も出されていたわけだ。役に立ったかどうかはともかく。
まぁそんなわけで、移築小西門とその周辺は、清代の府城の遺物が揃っている。台南の歴史に興味のある人なら、足を運んでもいいかも知れない。
成功大学には、他にも日本統治時代の建築物が多数あったりする。もちろん学生向けのグルメを楽しむこともできる。我々は赤子連れの限界で、これしか回れなかったけど、その方面でも楽しめるはず。余所様で調べてくだされ。
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