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2011/10/29
成功へのフライト?と高鐵予約
tomopeeの飛行機ぶんぶんは、そろそろ終息に向かいつつある。ヘドバンtomopeeを経て、ここ数日は腕立てtomopeeだ。もうハイハイは近い(近況ヲハリ)。
久々に高鐵のホームページをいじってみたら、ずいぶん使いやすくなって驚いた。網路訂票(webでの指定席購入)もアリだろう。以前は二週間前にならないと買えなかったのが、今は一ヶ月近く前から購入できる。日本のJRと大差なくなった(もっと早くに買えると嬉しいんだけどね)。
もちろん一番の魅力は、早期購入の割引制度だ。15日前までに予約すれば、列車によっては3割引である(列車によって割引率は異なる)。3割なら、桃園台南の大人2人で600元も浮くぞ。すごいじゃん。
高鐵はいろんな割引制度をやっていたので、我々が過去に乗車した際の運賃はバラバラだったりする。最初に乗った時は、早朝深夜が3割引だった。去年は何も割引がないので自由席にした。
利用客数においては好調な高鐵だから、だんだん割引も減っていくのかも知れない。日本の新幹線みたいな運賃にならないよう願うばかりだ。
2011/10/24
嚴燦城氏の逝去を悼む
2011/10/23
万福寺普度勝会を見学する(四)
放生会に向かう一行。
放生を行う池は有料エリアの外側にあるので、見学すると中に戻れない。なので我々はいったん祭礼現場を離れて、万福寺の他の堂宇を巡っていた。そうして一巡すると、ちょうどこの行列に出会ったわけだ。おかげで、どっかの新聞社よりいい構図で撮ってしまったぜ。
まぁ新聞社などどうでも良かった。ともかく船は池に到着。
日本的なお盆の時期だったら、いくらかでも蓮が咲いていたかも知れないが、未熟な実ばかりの中途半端な景色だ。きれいな人の眼には蓮華が見えているのだろうか。
供物と船をアップで。
すぐに読経が始まったし、カメラをもった部外者などderorenしかいない状況なので、基本的には遠巻きに眺めていた。
これらの供物は、池にばら撒かれるわけではなかった。まぁ当たり前か。
麦ばかりで米がないのはなぜだろう。台南でも、こういう時は「パン」だよね。
儀式としては、読経が行われ、参加者が池の端に降りて線香を供えて祈る形。その間、傍らではささやかな爆竹も鳴っている。tomopeeは初爆竹でびっくりしていた。何も知らない一般客が巻き込まれて、もっとびっくりしていた。derorenは、爆竹は箱ごとやらなきゃダメだろーと心の中でツッコんでいた。
そうして流された船は、風に揺れながら蓮の葉の間を移動していた。ちゃんと船になっていることに妙な感動を覚えつつ、我々の見学は終わったのである。南無阿弥陀仏。
帰路は黄檗名物のアーケード街を通ったゾ。六地蔵のモールが壊された今、奈良線沿線では屈指の破壊力を誇る暗黒商店街だ。
ちなみに、日曜の午後3時半に開いてる店は二つだけだったが、その片方はなんとケーキ屋である。我々はそこでシュークリームを買って帰った。というか、黄檗駅前で食ってしまった。普通にうまかったのよね。
2011/10/21
万福寺普度勝会を見学する(三)
普度勝会というイベントは、かつては各種観光パンフやwebで紹介されていた。今回も宇治市のサイトにはあった気がするが、詳細は何もなし。華僑団体のサイトでは「近日公開」のまま当日を迎えている。要するにネット上で式次第を知る術はなかった。
観光サイトがこの地味な祭礼を取り上げたのは、そこで獅子舞が披露されたからである。
正直言えば、デフォルメ獅子の獅子舞は南京町で見たし、北港朝天宮の祭礼を見学した我々としては、注目するほどのものではない。とはいえ、tomopeeの発育に何か効果があるかも知れないから、一応は獅子舞目当てで出掛けた。
午後一時前に万福寺に着くように家を出た理由は、過去の情報によれば、獅子舞披露が午後二時らしかったためである。
で、大雄宝殿の柱に式次第が張ってあるのを発見して、ようやく今後の予定を把握する。次の行事は一時半スタートということと、獅子舞の文字がないことが分かった。
獅子舞に関しては、周囲で談笑中の華僑の皆さんが、今年はないらしいと話しているのも聞こえていた。まぁそれならそれで仕方ないかなぁ、と気を取りなおす。derorenとhashiは、両将軍の勇姿を拝めただけで満腹だ。
そうして一時半が近づく。大雄宝殿前では祭壇の準備が行われている。正直、供物を並べるぐらいのことで、準備というほどではなかったが(祭壇自体は元から設置されていた)。
こうやって万福寺の僧が準備をする間にも、祖霊を拝拝する人々は何の躊躇もなくやってくる。日本という地にあっても、こういう流儀は変わらないのだなぁと感心する。
というか、自分もこの日は何の躊躇もせずに写真を撮りまくった。「カメラを向けるなんてとんでもない」といわれる祭礼を幾つも見た経験があって、そういうものだと身体に染みついていた自分だが、ほんの数回台湾に行くだけで、すっかり意識が変わってしまった。
祭壇には船が置かれている。これより以前には、大雄宝殿の中に置かれており、隣には馬もいた。言うまでもなく祖霊の乗り物だ。
式次第によれば、これから放生会なのだという。送り盆ですな。
予定時刻をかなり過ぎて、ようやく祭儀が始まる。
万福寺の僧の読経のもとで、華僑団体のトップが供物を捧げて祈る。
まぁことさらに解説するほどの行事ではない。
上の写真では、この後の行事の主役も写っている。
これも容易に想像がつくだろう。厄除けで撒かれるものだ。
饅頭のようなものは、餡が入っていない。周囲の人は「パン」と呼んでいた。生地は饅頭だったけど、まぁ蒸しパンといえばそうだ。
お金は日本の五円玉だ。ちょっと期待したので残念だが、祖霊の住所が宇治市なのだし、やはり日本円であるべきなのかも。
僧が関わった祭事は十分ほどで終わり、会長がマイクで挨拶。
そうして、パンと五円玉が投げられた。五円玉の前には、メガネの人は注意するようにと親切なアナウンスもあったゾ。
derorenがtomopeeを抱きながら撮影しているすきに、hashiはしっかりパンを拾っていた。せっかくなので記念撮影。ポカポカ陽気でtomopeeはお昼寝だ。
五円玉は沢山撒かれたので、derorenですら数枚ゲットだぜ。我々はただの傍観者といえばそうだが、地獄に堕ちないよう一通り拝拝はしたから、まぁおこぼれにあずかっても罰は当たらないよね。
さぁいよいよ次は最終回。放生会だ。
この程度の見物記を四分割するなんて、まるで特番化した「水曜どうでしょう」みたいだね。
2011/10/18
万福寺普度勝会を見学する(二)
食事を終えた我々は、ひとまず大雄宝殿を目指す。目指すまでもなく目の前にある。
本殿を大雄宝殿と呼ぶのも、台南の寺院と同じである。
正面から見た大雄宝殿。見るからに中国っぽい色の何かがあるゾ。
まぁそれが何かは分かっているけれど、実見はしてないので、期待に心を躍らせつつ、華麗なステップで近づいてみる(かなり誇張されている)。
そこにあったのは張りぼての宮殿だっ!
謝将軍と范将軍だっ! お久しぶりっ!
冥界に向かう者の善悪を判定する陰陽司。そこにしっかり両将軍が居座っている。
一見大吉の謝将軍は、ちゃんとベロを出している。
奨善罰悪の范将軍は……、やっぱりベロを出している。うーむ?
反対側には功徳司もいる。
となれば当然、中央にはこの神がおられるだろう。
城隍神だ。そう、ここはまさしく張りぼての城隍廟であった。
普度勝会とは仏教における盂蘭盆会のような行事で、祖霊をただしく祀り、現世の子孫の繁栄を願うものである。
普度はもちろん仏教の言葉。だから万福寺で開催されるのは自然にも思えるが、あくまで主催は在日華僑の団体で、ここを会場として借りる形のようだ(関西ではここと神戸の関帝廟で開催される)。
万福寺の僧によって読経も行われるので、仏教寺院で開催される意義はある。ただし祭礼としては、道教色が強い。少なくとも張りぼて宮殿の数々は、台湾の陰廟そのものである(裏の方には地獄図もあった)。
……もっとも、仏教と道教を区別する発想自体が、ここでは野暮なのも事実。
そもそも万福寺には、伽藍神という名で関帝が祀られている(台南の大天后宮でも、門神の伽藍を関帝の化身としている)。中国的な仏教が儒仏道の三教一致に向かったことは周知の通りで、そうして生まれた黄檗宗なのだ。内部に城隍廟が出現しても、なんら不思議ではない……のかも知れない。
これら神々の宮殿の左右には、それぞれの家の祖霊屋敷が並ぶ。台南東嶽殿を彷彿とさせる豪邸だが、東嶽殿よりもさらに派手である。
ただ、門前には外車が停まっていたりするけれど、冷蔵庫やテレビは見当らない。打城法事のように、ことさらに現代的かつ裕福な生活環境をアピールするわけではないようだ。
穏やかな冥界ライフをおくっているここの住人と、今まさに救われようとする不安定な霊の違いなのだろうか(思いつきで書いている)。
さすがと思ったのが、この「冥宅契約書」。ちゃんと住所は万福寺になっているゾ。
そんなわけで、宇治に居ながらにして台南気分を満喫するtomopee。張りぼて宮殿の前で記念写真も撮ったが、さすがにバカ過ぎて載せられないぜ。
ちなみに、後ろ姿ながら不肖derorenが写っちまったぜ。その三に続くぜ!
2011/10/16
万福寺普度勝会を見学する(一)
挙行か否かで検討中の台湾旅行の前に、とりあえず我々は台湾成分を摂取すべきである。少なくともderorenはそう思うのだ。
まぁ摂取という意味では、つい最近も東京に行ったついでに、台湾物産館で絶品好茶などを買って飲んだ。立ち寄る機会さえあれば、普通のペットボトル飲料と値段は変わらないのでオススメだが、所詮ペットボトル飲料である。遠からず汗か尿に消える運命である。
もっと記憶に残る台湾成分はないのかと悶々としていたある日、hashiが耳寄りの情報をもってきた。京都の万福寺で何やらあるらしいのだ。
インターネッツを駆使しても式次第すら分からないものの、幸い万福寺は我が家を出て30分以内には着いてしまう距離にある。さっそく三人で出掛けることにした。
上の写真は我が家の最寄り駅のホームにて。「まーたderorenとhashiがどっか引きずり回す気だぜ。やってらんねーなー」とぼやいている可能性は否定できない。
万福寺はJR奈良線黄檗駅から徒歩5分ぐらい。京阪黄檗駅からも似たような距離だ。ちなみに両駅は、ホームが隣接するのに乗り換え駅とされていないことで有名だ(競合区間なので合同駅舎は永遠に造られないだろう)。
門前に着くと、幔幕が張られている。祭礼気分を盛り上げてくれるが、実は本日の祭礼とは無関係。350年記念の法要が近日開催される関係の幕である(大震災で延期されたもの)。
そもそも、周囲には他にも参拝客がいるけれど、祭を見に来たという感じの人間は見かけない。
一般的に京都で祭を見物に行くと、役にも立たない写真を撮りたがる自称カメラマンや、とりあえず他人よりよい場所を占拠しようと殺気立つ人々が、漏れなくついてくる。しかしそんな空気はまるでないのである。
ともあれ中に入ることにする。ちなみに拝観料は一人500円である。大人二人で1000円! 台南の開元寺も法華寺も拝観料なんて取ってないよねっ!
……ここは台湾人の読者もいるので、あえて書こう。日本の、特に京都の観光寺院は、ただ敷地に入るだけでお金を必要とする。拝拝の有無に関わらずである。
堂内には賽銭箱がちゃんと設置されているけれど、参拝客がお金を入れる保証はないので、あらかじめ取ってしまう。それが「拝観料」という制度だ。かつて税金でもめて「志納金」と称した時にも、金額を強制する寺院があったほど、観光寺院の経済にとって拝観料は大きな収入源である。
万福寺は郊外の寺院なので、平日の観光客なんて知れているけどね。
話がそれてしまった。広い境内は、左右に並ぶ提灯だけが、特別な日であることを示している。
階段を昇ったところにあるのが天王殿。実はここ、台湾でいうところの弥勒殿そのものだ。内部は中央に布袋系弥勒像があり、両脇には四天王が祀られる。まるっきり開元寺などと同じ配置となっている。
これはもちろん偶然ではない。
万福寺は禅宗の黄檗宗に属するが、この宗派は日本の江戸時代に、清朝から伝来した非常に新しいものである(従って寺院の数は少ない)。開祖の隠元は中国人で、当初は他の僧侶も概ね渡来人だった。さらに伽藍もそのまま再現された。
台南の開元寺や法華寺は、黄檗宗に属したことはないと思われるが、ほぼ同時期の寺院なので、類似しない方がおかしいのである(台南にはかつて黄檗寺があったぞ)。
そうして盛り上がってきた我々の前に、立ちはだかったのはマスコットキャラだった。
コイツは叩いて音を鳴らす開版で、禅宗寺院にはつきものの道具に過ぎないけれど、売店では本当に開版のキャラクターグッズが売られているんだぜ。
そして、このマスコットがいる場所では……。
ああうまそうな香り!!
斎堂では精進料理(素食)の春雨が振舞われている。もちろん見逃すはずもない我々は、見学より先にまず食事となった。
これがまたうまい。金針花が入ってるし、しっかり台湾素食の気分も味わえた。ああ幸せだ。写真の皿の中身は、二人で全部食ってしまった。
ただし、幸せなのは親だけで、まだ離乳食も途上のtomopeeは一人ふてくされていた。罪滅ぼしも兼ねて、そのまま斎堂の隅を借りて授乳、いよいよ目的の場所へ向かうことになった。
台湾の話じゃないのに、まだ続くぜ。
*****頼まれたので宣伝*****
台湾政府の行政院青年輔導委員会で、「青年トラベラー大募集」というイベントを開催。webから10日間の旅行計画を投稿すると、締切後に審査が行われて、2000~3000$の旅行資金がもらえるかもしれないそうだよ!
ちなみに18-30歳限定らしいよ! derorenは応募資格がないのに宣伝してるよ! 依頼の文章が分かりにくいので全面的に書き替えたよ!
まぁ興味のある人は公式サイトを見るが良いぞ。
http://youthtravel.tw/youthtrekker/
*****宣伝終わり*****
2011/10/14
小兒痲痺と流行性感冒
7ヶ月を迎えたtomopee。日本の植物園で、台湾の油杉(ユサン)の松ぼっくりを手にしているぞ。最近は彼と台湾の関わりも希薄だぞ(元々が希薄だ)。
で、ここにきてderorenとhashiの間では、台湾旅行に向けた大きな課題として、伝染病予防の問題が浮上している。具体的にいえば小兒痲痺と流行性感冒だ。
小兒痲痺(ポリオ)は、最近のニュースによると新疆地区で大流行らしい。台湾での患者は近年は発生していないというが、中国からの旅行客が大挙押し寄せるだけに、安心と言い切れない部分がある。
ちなみにtomopeeは不活化ポリオワクチンを接種中(現時点で2回)。
流行性感冒(インフルエンザ)は言うまでもない。こちらも来月ワクチン接種の予定だが(近所の小児科は予約でいっぱいなのよね)、tomopeeは2回接種しなくてはならない。
というか、接種したウイルスとは限らないからねぇ。
病気になった時に、tomopeeの病状を正確に伝えることができるのかという点も、相変わらずの懸案だ。
tomopeeの健やかな成長を願って、どこかの廟で祈禱を頼みたいのだが、それを現地でどうやって交渉するかというのも問題だったりする(言葉の問題)。頼むだけならジェスチャー混じりでどうにかなりそうな気もするけど、祈禱の内容を我々が理解できないのでは意味がない。通訳が必要になるなぁ…と、これも悩み事。
もちろんそれは、具体的な計画を立て始めた故の悩みである。
伝染病問題で納得いかなければ、延期するしかないけどね。
2011/10/08
隘門逝く
話題がないので最近は更新ほとんど停止中の本ブログ。その中で最大の関心事のように見えなくもない艋舺隘門の最新動向が伝わってきた。
10月6日の民視が伝えたところによると、結局すべて取り壊されたらしい。同報道では、壁に屋根の痕だけ残った映像が流れている。
この門のせいで救急車や消防車が入れないという報道は以前からあったが、水道が引けないという状況もあったらしい。いずれにせよ、現在のあの場所に門を設ける必然性は皆無なので、遅かれ早かれこういう結末を迎えたのだろう。
なお台北市の文化局では、隘門もどきの記念物を建てる可能性もあるようだ。ただしそれは決して、あの隘門のような形にはならないだろう、とも。
そんなわけで、開設二年半の当ブログにおいて紹介した場所が、まさかの過去帳入りとなってしまった。じじむさく言えば、これも一つの縁でございましょうや。南無
10月6日の民視が伝えたところによると、結局すべて取り壊されたらしい。同報道では、壁に屋根の痕だけ残った映像が流れている。
この門のせいで救急車や消防車が入れないという報道は以前からあったが、水道が引けないという状況もあったらしい。いずれにせよ、現在のあの場所に門を設ける必然性は皆無なので、遅かれ早かれこういう結末を迎えたのだろう。
なお台北市の文化局では、隘門もどきの記念物を建てる可能性もあるようだ。ただしそれは決して、あの隘門のような形にはならないだろう、とも。
そんなわけで、開設二年半の当ブログにおいて紹介した場所が、まさかの過去帳入りとなってしまった。じじむさく言えば、これも一つの縁でございましょうや。南無