總趕宮の次に我々が目指したのは、蕭氏節孝坊という石造物である。
ところが地図を忘れているので、「確か總趕宮の南西だった」という曖昧な記憶だけで歩くことになる。あちこち探しまわって、結局辿り着けなかった。
あとで地図を確認したが、すぐ近くをかすめてはいた。ただ、この通りにはなさそうだとスルーしてしまったのだ。
まぁ案内板の一つもないマイナーな史蹟だし、縁がなかったと諦めたけどね。
「中双會」と提灯に書いてあるが、それ以上は何も見えず。どうも、どこかの宮の奉賛会のようだ。
そうしてぶらついていると、何やら廟が見えた。
マイナーな雰囲気が、探検心をくすぐるぜ。
ここは水流城隍祠というようだ。
もちろん何の予備知識もない。城隍廟なんだろうけど。
内部も素晴らしくシンプル。しかしよく見ると、城隍廟のはずなのに、向かって左は女性神である。
ここを解説してるブログを見つけたので紹介しておくが、そこの説明によれば北港朝天宮から来た媽祖らしい。城隍神と媽祖が並ぶというのも不思議なものだ。別に、呉越同舟というほど仲が悪いわけでもなかろうが。
大通りに出れば、そこは小西門円環のすぐ近くである。
2009年にも訪れた場所だし、今は何もないけれど、『小西門 台南前世今生』を読んだ以上は表敬訪問しなければならない。そんな気持ちで歩いていた。
左邊的女性神是「開基水流媽」,是廟方於1966年去北港雕刻的,詳情可參考下面網址。對話視窗跳出時請點擊「取消」
返信削除http://m.xuite.net/blog/cftnn1/twblog/134485687
中と右の「水流公」は水流から来た男の霊魂です、その後「城隍」を昇格しました、右の水流公は「開基」(一番古い)です。左の女性神は「水流媽」(水流から来だ女の霊魂です)。北港は神像作たの地です。
返信削除Unknownさん謝謝。
返信削除ご教授ありがとうございます。北港から迎えたというのは、単に北港で作ってもらったという解釈なのですね。
「水流」も、改めて興味深いです。清水寺の水流観音も含めて、どのような宗教者が関与していったのか気になります。
すみません、僕の日本語は下手です,所以以下用中文回答
返信削除關於神像在北港雕刻這件事,我主要是參考台南廟會達人謝奇峰的文章,也就是上面貼的那篇連結。如果使用手機可以正常瀏覽,使用電腦則需要在對話視窗跳出時點擊「取消」
http://m.xuite.net/blog/cftnn1/twblog/134485687
而且這種鬼魂信仰具有非常強的在地性,除非有被封為正神,否則並不會分靈,所以「從北港迎來」的只會是神像而非神靈
台灣民間信仰的來源非常多樣,有從中國請神明過來的(台灣多數廟宇來源,作為移民時保佑平安的守護神),有看到漂流木像佛像就撿起來拜的(像清水寺水流觀音),有拜漂洋過海王船的(沿海王爺廟還蠻多這樣的,像南鯤鯓代天府),有兒童學大人塑造神佛模仿禮拜結果神佛降世的,太多太多,主要還是出自於對神的尊敬,認為具有神相貌的都應該被好好禮拜
至於「水流公、水流媽」這類的信仰則出自對「死後無人祭拜」鬼魂的憐憫和恐懼,有應公、萬善爺這類也是同樣的道理,其實大約等同於日本的「無緣仏」。不過台灣民間信仰中鬼神的分界可以變動,因此會有鬼魂因為努力保佑民眾接受其他神明推薦升格的事情,上面網址裡也提到「水流城隍」是其他廟宇神明推薦升格的