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2010/10/31
鳳凰城の泮宮石坊
台南市の木でもある鳳凰木。実は日本統治時代の遺産で、台湾全土のなかでも台南に多く植えられたため、この街を鳳凰城と呼んだなんて話もある。
せっかくなのでこの写真は、いつもより高解像度にした。補正も珍しく手をかけているぞ(普段は面倒なのでXnViewの自動補正のみ)。壁紙にでも使っておくれやす。
そんな鳳凰木が目立つ場所といえば、台南孔子廟。永華宮からわずかに歩くだけで、さっきまでの静寂が嘘のような繁華街に飛び出す。
もちろんいきなりここに飛び出すのではない。その前に、下のゲートをくぐるのだ。
府中街の向こうを塞ぐあいつはインベーダー……ではなく泮宮石坊。そのスペイスインベイダァの口の中には東大成坊。それが今となっては名前だけの「全台首学」、台南孔子廟である。
「泮宮」とは学校を指す語。もちろん学校といっても近代の学制ではなく、孔子を顕彰する学校、つまり孔子廟そのものである。
孔子廟とは孔子を祀る場であるが、同時に科挙制度の一部をなす教育機関だ。従ってこの石造物は、この門の先には帝国のエリート輩出機関があるぞ、えぇい頭が高い、控えおろうというモニュメントなのである。
『台南歴史深度旅遊』によれば、この石坊はあくまで木造建築を模倣しているのだというが、こういった中国式の石坊を見ると、いつか倒れそうな危うさを感じる。
日本の石の鳥居だって地震が起きれば倒れるけど、その鳥居と比べても上部が重そうだ。地震のない国の発想なのか、それとも倒れたらまた建てればいいということなのか。
「泮宮」と彫られた上には、葫蘆(ひょうたん)が見える。これは辟邪・吉祥の意味があるそうな。
今ではこの石坊と東大成坊の間に道路が出来て、せっかくの仕掛けも意味をなくしてしまった。かつてとは逆の流れで、台南の小洒落たストリートの入口を飾っている。
しかしそれが悪いってこともないだろう。かつての孔子廟で学ぶことが出来たのは、所詮は一握りの限られた人々だけだった。そもそも我々は、ここをくぐることすら許されなかったかも知れない。
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