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2010/10/28
永華宮(一) 路地に隠れた台湾の歴史
府中街から脇の路地に潜る。
一つ間違えばただのコンクリートジャングルの街だが、ここも緑が途切れることがない。こういう路地を、冬瓜茶を飲みながら歩いたりするのは、本当に楽しいぞ。
やがて、建物の陰に廟が現れる。
ここは今回、我々が必ず行こうと決めていた場所の一つだった。
ここはフルネームで言えば、六合境全台開基永華宮である。
「六合境」という名は、清水寺や馬公廟にも冠されたもの。実は延平郡王祠も、六合境開山王廟だった。
せっかくなので簡単に説明しておこう。「●●境」とは清代の台南における聯境組織、つまりは自警団の区域である。台湾の中心だった台南の府城は、たびたび反乱軍の襲撃を受けていた。そこで対抗する一つの手段として、住民を地域ごとに城門や港に振り分け、守らせることにした。
で、それぞれの「境」は廟によって統括された。中心廟と付随する廟を定め、住民をそれらの廟に配属させる形をとった。ある意味、近世日本の檀家制度に似ている。
「六合境」の中心は延平郡王祠(開山王廟)で、他に永華宮、清水寺、馬公廟と、いくつかの土地公廟によって構成され、小南門の防衛を担当していた。
もっとも、このシステムの主眼は防衛のためではなく、住民の相互監視だったんだろうという想像が容易につく。
日本統治時代には、いわゆる「五人組」のような制度を作って住民を抑え込んでおり、その制度は国民党も受け継いでいる。そうした制度の前身と考えた方が良いだろう。
台湾の歴史を物語る永華宮は、現在は小さな広場と一本の大樹を前に、静かに佇んでいる。
抱鼓石。大天后宮のように装飾が彫られているわけではないが、それでも立派なものだ。
ちなみにこの写真はhashiが撮った。前日の大天后宮で、こういうものが門にあったら格が高いと教えられたので、見つけて撮影したのである。
その格式の起源は、言うまでもなく「永華」の名にある。
台南市の永華路をはじめ、台湾各地にその名が付けられた「永華」について、読者はもう知っているかもしれないが、ともかくその(二)にて記そう。
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