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頂土地公廟の後殿は、前殿に比べてずいぶん立派な建物だった。鉄筋コンクリートだし、恐らくは前殿よりさらに新しい建築だとは思うけど、こちらが現在の中心なのかも知れない。
というのも、後殿の祭神は前殿と全く同じなのだ。中央に土地公、右は大聖爺、左は臨水夫人である。前殿の内陣を派手にコピーしたとでも考えるべきか。
さて、前殿には見られない左右の大きな像は、それぞれ武判官と文判官とタスキ掛けされてある。この両名は善悪の審議を行うわけだから、土地公もそういう神格と考えねばならない。少なくともこの土地公が、単なる財神でないことは確かである。
※頂土地公廟は、清時代の街のありようを示す貴重な廟だが、古蹟指定はされていない。前殿も含めて、古いものが残っていないためではないかと思われる。
後殿の土地公。
右手前に白髪老人像が一つだけあるが、首から赤いものを垂らしているのを見ると、進香とある。つまり、この頂土地公廟に進香にやって来た、余所の土地公であろう。
従って頂土地公廟自体に、白髪老人姿は存在しない。某研究会で言ったことが嘘にならなくて良かった良かった。
※土地公の信仰は、台湾の南北でかなり違いがあるように思われる。
白髪老人型の福徳正神は、しばしばデフォルメされた好々爺のイメージとなる。一般的には財神。どうやら北方に多いようだ。
頂土地公廟のような神は、交番のようなものと比喩されるように、善悪の判断を下す存在とみられる。中国的なヒエラルキーに取り込まれた場合は、城隍廟の下位に位置づけられる。
珍しく狙ったアングルで。
どうですかお客さん、土地公って怖いでしょ?、なんちて。
とはいえ、財神としての性格が全くないわけでもないらしい。祭壇に置かれた金龍玉元宝は、言うまでもなくお金が貯まるお宝ってヤツだ。
土地公の財神化にはどちらかと言えば疑問をおぼえているけれど、だからといって我々がこれを拝拝しないわけはない。derorenとhashiは、残念ながら藁にも縋りたいほどお金が欲しいのである。
『日本霊異記』的にいえば、善行をなすにもお金はいるのだ、と解釈してもらいたい(言い訳)。
金龍玉如意。運気が良くなるものと思われる。もちろん拝拝しておいた。
後殿の斉天大聖。全く個人的な話をすれば、私が通った高校の美術の教師の顔に瓜二つである。当時気付いていれば、悟空と呼べたのにと悔まれるところだ。
臨水夫人。ここで子授けのための儀礼が行われるのかは知らないが、この廟の前を過去5~6度通り過ぎたなかで、それらしい声を聞いたことはない。
そんなわけで、思っていたよりも大きな廟であることを発見して、我々はここを去った。当然、次の行き先は南の土地公廟である。
※参考「土地公概説」
以下は某研究会レジュメの一部である。参考までに掲載。
土地公とは、いわゆる土地の神であり、原初的な様相は日本の道祖神などと非常に似ている。石や樹木を祀るもの。
しかしやがて「福徳正神」という神格が与えられる。
福徳正神の由来としては、「張福徳」といった人物の伝記が知られる。素晴らしい役人であったとか、主を護って凍死したとか、さまざまだが、生前の行いが周の王に認められて神となる。
こうした土地公は、人間界の皇帝・天上の玉皇らを頂点とする支配体系の末端とされ、交番の巡査長のようなものと説明されることもある。
→中国的制度に組み込まれた土地公
・大陸反攻と土地公
「土地公」とは、中国から台湾へ渡った人々が祀った神
→台湾と大陸の一体化
本省人が大陸に攻め込む根拠
・台湾独立派と土地公
「土地公」は台湾原住民がもともと祀っていた神
中国化を認めない
→台湾独自の信仰としての価値
実際の土地公は現世利益の神として信仰されており、そうした信仰の場において、神の由来がどの程度求められているかは疑問。
しかし子ども向け絵本、お布施で印刷される経典、デフォルメキャラなど、さまざまなメディアを通して「福徳正神」説が伝播される。
一方で台南の総爺老街(崇安街)は、現在では上下の土地公廟に護られた、台湾きっての古い街道として、観光客が訪れる。そこに張福徳的な世界観は感じられない。デフォルメキャラは北部に多いという(北部は国民党が強い地域でもある)。
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