華西街を抜け、広州街に出る。そこで龍山寺とは反対の西方向に仁済医院という病院がある。写真は南側の旧館で、北側には高層ビルの新館がある。
この病院の地に、育嬰堂という孤児院があったらしい。広州街の旧称も育嬰堂辺街だった。
で、この病院を載せているのは、その入口の壁に、清代の石碑を埋め込んであるからだ。残念ながら鉄格子が降りていて見えないが。
同治9年(1870)に完成した育嬰堂が、どの程度機能したのかは分からない。日本統治時代には廃止されたようだ。日本は西洋的制度を持ち込んだから、育嬰堂の理念そのものをいったん解体する必要があったのかも知れない(適当に言ってるだけ)。
なお、仁済医院は育嬰堂をその母体と称している。断絶の有無はともかく、理念を受け継いだ形をとっているのは確かなようである。
0 件のコメント:
コメントを投稿