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2010/05/08

台北府城 承恩門(北門)

台北府城 承恩門(北門)
 懐寧旅店から歩いて五分もかからない忠孝西路沿い。四方を道路に囲まれて、とても窮屈そうに建っている門が見える。
 あれがなんと、台北市内では数少ない一級古蹟なのである。

台北府城 承恩門(北門)
 ここは台北府城の承恩門(北門)。ちょうど下を通っている人がいるので、大きさが分かるだろう。それなりに大きいのに、周囲の景色のなかではこじんまりとした印象になってしまう。

 台北府城は現在の総統府辺りを中心に、四方を城壁で囲んだ中国式の都城であった。ただしその建設は1882年と新しい。あくまで台湾の中心は台南であり、ここは交易の町に過ぎなかったのだが、清朝の末期に急遽造られたのだ。
 造営の理由は、日本軍の侵略に対する防備である。台南よりも日本寄りに拠点を構えること自体は、その意味で当然の戦略であったが、下関条約で日本に割譲されると、すぐに城壁は取り壊された。なので、この門が門として機能した期間は、僅か十数年に過ぎなかったことになる。

台北府城 承恩門(北門)
 承恩門の額。正面側は高架に覆われて、今では写真を撮ることすらままならない。
 なお台北府城の門は、完全に消え去った西門以外は何らかの形で現存する。ただし東門や南門は、上部が国民党政府の手で造り替えられてしまい、防御のための城門という目的にそぐわない形になってしまった。国民党政府は、台北を擬似紫禁城としたかったのだろう。南方の文化を蔑む感覚があらわれている。
 北門は、台北駅に近いものの駅からは見えず、総統府など政府や党の施設からも離れている。役に立たない門だから、遠慮なしに道路で囲んで放置したのだろうが、おかげで古蹟指定されたのだから皮肉な話である。

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