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2009/10/24
安平の……と、……。
安平小砲台のそば、というか天后宮方面から歩く途中に、こんな景色がある。
遠目にはカルスト台地か何かのようだが、観光客は立ち止まらないだろう。
そう、ここは墓地である。
この墓地の感じ、沖縄とやはりよく似ている。もしかして安平にも、水平的三分観があったりするだろうか。昔訪れた宮古島を思い出す。
小砲台に近い土手で、犬の姿を見た。
私は基本的に犬嫌いなのでそれ以上関わりたくなかったが、相方が土手に登り、顔をひきつらせていた。
土手の上には野犬の群れだ。
台南は野犬の多い街だが、この景色は異様だった。
古堡内で見た昔の地図には、墓地も描かれてあった。その時と今では島の形も違っているだろうが、この高台は存在していたはずだ。
オランダの土地計画において、死者の世界をどのように捉えていたかは知らないが、鄭成功が奪った後の中華的安平ならば………。まぁ調べもせずにこれ以上書いてもしょうがないな。
※2011.3追加
コメントでご教示いただいた。この墓地はゼーランジャ城の出城の烏特勒支堡であったそうな。『台南歴史深度旅遊』を読み直したら、そこにもわずかに触れられていた。
なお烏特勒支とはユトレヒト、オランダの都市名である。エールディビジのユトレヒトで、半年だけ藤田俊哉がプレイしていたのを思い出す。
『台南歴史深度旅遊』によれば、鄭成功軍との攻防において、勝敗を決定づけたのが烏特勒支堡の陥落であったという。
オランダにしてみれば、わずかしかない高台を軍事的に利用しない手はなかった。その辺は鄭氏政権、清代でも変わらなかったはずだから、砂が溜まってこの辺の軍事的価値がなくなって、はじめて墓地になったのかも知れない。
数頭が一斉に立ち上がったときは、さすがにまずいと思った。台南ではやたらと野犬を見かけるけど、妙に大人しいので、すっかり気が緩んでいたのだ。ここは野犬の城だったらしい。ものすごーく、アウェー感があった。
返信削除這裡荷蘭時代是烏特勒支堡
返信削除>liauさん
返信削除謝謝!
那樣也追加到本文。