民権路と永福路の交差点。永福路を直進すれば赤崁(嵌)楼という立地で、一日中車やバイクがひっきりなしに行き交う場所に、何やらマンホールの蓋みたいなものがある。
実はこれはマンホールではなく、井戸である。大井と呼ばれるこの井戸は、もしかしたら台湾最古の史蹟かも知れないらしい。
伝承によれば15世紀初頭、明の鄭和が南洋に旅立つ途中、ここで水を汲んだという。鄭和といえば明の大航海時代を築いた人物である。とはいえ、この時期に明が入植したわけでもなく、どこまで信頼できる話なのかは不明。
はっきりしているのは、オランダがプロヴィンシャ城を築く際に、城下町の起点となったことのようだ。この井戸は当時の海岸線に近く、そこから普羅民遮街(民権路)がのびていた。大井「頭」とは、陸地の先端部分、要するに港であった。
この大井頭の全盛期は17世紀後半で、鄭氏から清に移行した頃には台湾でもっとも栄えた地であったらしい。
しかしその繁栄は長く続かなかった。台江内海が次第に土砂の堆積で浅くなり、大井頭に船が入れなくなった(代わって五條港の時代となる)。大井はその後も井戸として利用され、日本統治時代の1915年に水道が出来たことで役目を終えた。
なお、今回の八八水災で台南市は断水したが、その際には各地に残っていた古井戸が大活躍した。この大井を利用するには道路を封鎖しなければならないので、まぁ難しかったろうが。
水質検査をしていない井戸の利用は、あくまで応急的なものである。それでもまぁ、断水の影響がそれほどでもなかったのは、街のあちこちに残る井戸のおかげだったろう。いざという時のために井戸を掘るってのもアリなのかなぁ、と思う。
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