下土地廟の近くにある
三老爺宮は、鄭成功がオランダ軍と戦った際に陣地とした場所らしく、「開台聖地」と書かれてある。
清代の地図では、総老爺街の左手に描かれており、近くに「左営」、総老爺街の先が「総鎮衙」である。さらに「中営」「右営」「城守営」とあって大北門だから、この辺は軍事面での中心地であったようだ。
ちなみに謝金鑾、鄭兼才編『続修台湾縣志』では祭神不明の寺廟として挙がっている。というか、王爺廟の一種みたいな扱いだ。
こちらがその碑。
ただし、そういう由緒はあるにせよ、他の廟や宮と比べたら活気のない場所だった。もしかしたら地域に根ざしてないのかも知れない……が、まぁたまたま我々が訪ねた時にそうだっただけの可能性もある。
この宮の門前から店が増え始め、そのまま光復市場になだれ込む。
ついでに書いておくと、総爺古街や大銃街は観光用に道標が整備されているので、あまり迷う心配はない。さすがに説明文を理解するには、多少の漢文が読めるぐらいの知識がいる。けれど道筋を確認するだけなら何の問題もないので、どんどん歩こう。
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