2010/09/05

小南天土地公廟(一) 寧靖王ゆかりの土地公廟

小南天土地公廟
 観亭街から民族路を西に折れると、間もなく南側にこのような路地が見える。

小南天土地公廟
 なんということのない路地を歩いてみたら、土地公廟があった。
 あったというか、小南天土地公廟というのは全台的に有名な土地公廟なのである。まさかこんな場所だとは思わなかった。

小南天土地公廟
 本殿の内部はこんな感じだ。
 廟自体はとりたてて広くもないが、扁額の多さが目立つ。

小南天土地公廟
 土地公像は黒くてヒゲが長い基本型。ここも伝統的には白髪老人でなかったと見て間違いない。
 ただし現在は白髪老人的な信仰も混じっていて、この写真でも一人そういう土地公がいる。そして実は、お守りみたいなものが手前にあり、そこにはデフォルメ系の小さな像も置かれている。信仰の過渡期にあるのかも。

小南天土地公廟
 この土地公廟で有名なものが、「小南天」扁額である。
 この扁額は1814年(嘉慶19年)のもので、ちょうど廟宇の改築が行われた際に掲げられた。しかしそれ以前には別の扁額があった。それはなんと、寧靖王の筆であった。
 鄭氏政権の監軍であり、その正統性の根拠であった寧靖王は、永暦年間に「小南天」の扁額を自ら書いたという。残念ながらその扁額は失われてしまい、今では伝説として残るのみだが、台南府城の中心にある土地公廟の格式を物語るエピソードには違いない。

 説明はもう終わった感じだけど、(二)へ続く。ぜひ見てもらいたいものがあるのだ。

2010/09/04

全台呉姓大宗祠(台南・観亭街)

全台呉姓大宗祠(台南・観亭街)
 観亭街で唯一古蹟指定されているのが、この全台呉姓大宗祠である。
 台南には鄭氏家廟とか陳公黨宗祠など、それぞれの姓に応じた廟が存在する。台南というよりも中華文化圏の問題なのだろうけど、日本の産土神的発想とは全く違う。なんたって全台だ。

全台呉姓大宗祠(台南・観亭街)
 『台南歴史深度旅遊』によれば、1868年の創建らしい。当時の台湾巡道(実質的な台湾の行政トップ)が呉大廷、つまり呉姓だったので、台湾全土の呉さんに呼びかけたそうな。
 正殿は1877年に完成。ただし火事に遭ったりして、現在の姿に改修されたのは1968年のことと書かれてある。
 残念ながらここは申し込まないと内部を見学出来ないので、門のすき間から望遠で撮ったのみ。管理委員会に頼むそうだ。

 呉さんは大物が多いので、廟もでかい。
 まぁしかし観亭街にこの廟がある理由は、興済宮との関わりかなぁ、と推測される。興済宮の本尊は保生大帝、その生前の名は呉本である。この正殿にも保生大帝関係のものが多く安置されているらしい。

全台呉姓大宗祠(台南・観亭街)
 無理矢理ズームで撮った。
 基本的には儒教的色彩の濃い装飾のようだ。

全台呉姓大宗祠(台南・観亭街)
 ちなみに、隣は梅露沙という名の知れたインド料理の店だったりする。まぁ台南であえてインド料理を食べようとは思わないけどね。ヨガのポーズでタクシーをとめる人を見かけたら、ちょっと迷うけどね(全くの余談だが、京都でインド料理と言えば西大路五条のサーガルだよね)。

台南・観亭街
 民族路の交差点から観亭街を望む。わずかに下っているのが分かる。
 ちょうど中間地点の、ビルの陰から大きな木が見えているあたりが全台呉姓大宗祠で、さらに奥の赤提灯が並ぶ付近に興尊宮、そして奥の突き当たりが興済宮・大観音亭だ。
 台南初心者がわざわざ歩く価値はないけれど、普通の台南に飽きた人が暇を潰したいのであれば、あえて止めはしない。

興尊宮(台南・観亭街)

興済宮・大観音亭)
 首相大飯店から興済宮・大観音亭までは、徒歩5分もかからない距離。
 成功路に面したこの宮の前から、南に下る道がある。観亭街という。

台南・観亭街
 門前町というシチュエーションそのものだから、何か見所があるかな、と思って歩いてみた。結論から言えば、台南のどこにでもある道に過ぎなかった。
 もちろん廟はある。しかし台南は本当にどこにでも廟があるから、その意味でも特筆すべき点はなかった。

興尊宮(台南・観亭街)
 興尊宮は劉・黄・李の三氏を祀る王爺廟らしい。

興尊宮(台南・観亭街)
興尊宮(台南・観亭街)
 門神。外側の門には二十四節季の神々が描かれている。
 規模は小さいが、なかなか立派な廟だ。

興尊宮(台南・観亭街)
興尊宮(台南・観亭街)
 王爺廟なので、当然謝将軍と范将軍もおられる。
 そういえば今は民主党の党首選だったな。たすき掛けを見たら思い出した。

興尊宮(台南・観亭街)
 本尊。たぶん三人のうち左側は写真に写ってない。
 この宮の由緒は、手元に資料がないし、ネットで探してもそれらしい記述は見当らない。王爺信仰であることは確かなので、何らかの死者を祀り、疫病や災い除けの祈願をするのだろう。興済宮との関係はあるのかな?

鴨母寮市場(光復市場)2010.5(二) 食事もとれるでよ

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 鴨母寮市場はただの市場ではない。写真右奥の煤けた看板の「松村燻之店」は、その名の通り燻製類の専門店として、台南どころか台湾全土でも有名だったりする。

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 朝食用に買って、ホテルで食べるというのはアリかも知れない。
 なお、市場ではチマキや肉圓なども売ってるし、総菜屋もあるよ。

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 成功路に面した側は小吃エリア。このオッサンのイラストの店はいつも客がいる。きっとうまいに違いない。
 なお「骯髒麺」はこのエリアではなく、もっと奥まった場所にある。食べたければ迷うが良いぞ。

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 以下はお魚さんだ。
 肉屋の方が圧倒的に多いけど、肉屋の写真って結局はグロなんで、載せていいものか迷うわけだよね。なんせ内臓がぶら下がってるからね。

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 魚はその点、原型を留めているのでほっとする。場合によっては生きてるぞ。

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 サバヒー!
 結局、今回は切り身を見たものの食えなかった。阿憨鹹粥はなぜ臨時休業していたのだろう……。 

鴨母寮市場(光復市場)2010.5
 こういう氷の板上に並べる売り方は、日本では見かけないよね。
 肉厚でうまそうな魚が並んでいる。

 そんな感じで今回は「骯髒麺」を食べて、興済宮方面に向かった。
 ホテルを出てから二時間は経っていたので、そのまま首相大飯店に戻って、いったん休憩。せっかくなので洗濯をして、ゆっくり休んでから再び興済宮方面へ歩く。
 午後の目的地は大天后宮や總趕宮。台南歩きは、ここからが本番である。

2010/09/02

更新状況と雑記

 derorenとhashiはしばらく台湾に行く予定がない(諸事情により当面不可能)ので、この先の更新は基本的に2010.5の旅行ネタが続く。
 今月はひたすら台南特集の予定。非常にマニアックなので覚悟しておくれやす。

・その他、ブログ関係の告知
 画面上の「台南豆知識」などは、地味に更新している。鄭成功の歌をwebに載せたのは世界初かも知れない。嫌な歌詞だけどさ。


・ブログで無償奉仕は無理?
 世の大半の人は開設したブログをほとんど更新しないと、どこかの雑誌に書いてあった。ウィキペディアの執筆者も減少しているらしい。無償奉仕には辞める自由も伴うのは事実だろう。
 台湾旅行関係のブログも、情報提供をしようと気張って作られたようなものは、案外長続きしていない。そもそも旅行者が自分の体験談だけで構成したブログが、どれほどの有益な情報を提供できるのか、という問題もある。嫌な言い方をすれば、最初から誰も求めていない情報提供を、熱に浮かされたようにはじめ、そして冷めるのだろう。
 ガイドブックの会社やゲストハウスなど、最初から宣伝を兼ねているケースでは、それなりに継続するようだ。ただしそうしたブログでも、情報の質には疑問を覚えることが多い。現地にいるなら尚更、それなりの知識を元に書いて欲しいと思うのだがね。
 無償でやってるんだから質は問わないでくれ、という考え方には賛同しない。責任を伴わない情報発信なんて、ないほうがマシである。

 当ブログはその意味では、奇跡的なほど続いている、といえる。自分で言うのも何だけどさ。
 継続している理由は、もちろんderorenが暇だから、というのもあるし、台南をそれだけ気に入ったのも確かだ。しかし実際には、実現可能なヴィジョンを描いた上で、どの程度の負担になるか予測してスタートしたから継続しているに過ぎない。
 もちろん、アフィリエイトで儲けがでるだろうとか、そんな妄想も描いていない(アフィリ広告は一切載せない方針だ)。そもそも、旅行代理店や日本語ガイドブックに不満があって始めたのだから、広告すべき対象が存在しない。強いていえば旅行保険ぐらいかね。

 予言しておく。いずれこのブログは更新が止まる。それは人間がいつか死ぬからだ……ではなくて、旅行に基づく写真と情報提供を目的とする以上、旅行しなければネタは尽きるからだ。
 来年の正月ぐらいには、現在の旅の記事もだいたい終わっているはず。その後は次の旅が始まるまで、雌伏の時を過ごすに違いない。なーにが雌伏だ。


格安ツアーに頼りつつ苦情を言う人への疑問
 旅行代理店の評判が書かれたサイトを久々に覗いてみた。相変わらずそこは、山のような苦情と、不自然なほどの絶賛コメントのまだら模様だった。
 どんなにきれい事を言っても、最終的に価格こそが正義であることは否定しない。実現したい旅を、複数の会社が提供出来るというなら、安さに飛びつく気持ちは分からなくもない。
 しかし、往復の航空運賃より安いツアーがどのように成り立つのか? そこを考えもせずにお金を払う客に対して、同情もできない。

 もちろん、「安くする代わりにおみやげ店をハシゴします」というだけでなく、ツアー規約に「決められた店で一人あたり計1万円以上は消費する」という条項を加えておくと、お互いにストレスを感じずに済む(1万円という額に驚いた人は、見識を改めた方が良い)。
 旅行代金の数字にも、おみやげ代をプラスしておくべきだ。その上で高いか安いか消費者に考えさせればいいのだろうが、それをやれば格安ツアーは滅亡するかもしれないね。たぶん格安じゃなくなるし。

 derorenは国内の出張パック以外はまず代理店に頼まない。しかし職場の関係などで代理店絡みの旅行をしたことはもちろんある。
 京阪神の大手私鉄の名を冠した代理店とは、去年さんざん交渉した。ぶっちゃけ、とてもプロの仕事と呼べるものではなく、旅行日程はすべて私が作り直して、手配だけ頼んだ。そしたら、チケットの日付を間違えて買ってきたぞ。
 そこ絡みでは過去にも、昼食の弁当を別の便と間違えて持って来たとか、いろいろトラブルがあった。まぁしかし自身の職場の側が、旅行費用をケチりたくてわざわざ選んだ会社なのだから、ある意味で自業自得である。

 ただし断わっておくが、格安ツアーの会社であっても、自分で組んだ日程で頼めば安くはならない。去年の旅行に関していえば、自分で全部手配した方が安かった。
 代理店を絡ませる利点は、何か事件があった際に、手配した者に責任を押しつけることができる、という程度だ。
 格安ツアーで文句ばかりの客にも、旅行の不満が自分自身に向かわないよう、代理店任せにしてる面があるんじゃないのかな? なんてね。

2010/09/01

鴨母寮市場(光復市場)2010.5(一) 南国の朝がきた

鴨母寮市場(光復市場)
 きーぼーおのぉーあーさーだ、というわけで現在は光復市場がたぶん正式名となっている鴨母寮市場。去年の訪問記事はその正式名で光復市場と題してあるが、どうも現地では鴨母寮と呼ぶ方が一般的みたいなので、そちらに従う。
 まぁだいたい、光復っていう政治的な命名は、あまり楽しくないよね。日本国が負けて逃げた記念の名だという事情をさて置いても、ねぇ。

 この市場は南側が成功路に面していて、オンボロな建物の中に広大な市場が広がっている。また北側の細い路地に沿っては、野菜や果物、そして衣料品の店が並ぶ。一番の北端は、三老爺宮の手前まで続くので、かなりの面積がある。
 上の写真は店というか、トラックの荷台にヘチマを並べただけ。こんな感じの売り手も多い。

鴨母寮市場(光復市場)
 アスパラガスを売る屋台。通路で商売している。なかなかうまそうだ。買えないけどね。
 今さらのことだが、台湾から日本へは、野菜も果物も肉も持ち帰れない。野菜などは病害虫の問題があるし(沖縄の野菜だって長らく持ち帰れなかったわけだ)、肉はご存じの通り口蹄疫がある。
 ブログを見てると、こっそり持ち帰ったことを自慢してる人をたまに見かけるけど、それはれっきとした犯罪行為である。お前のせいで日本に害虫が広まったら責任とれるのか、と言いたい。

鴨母寮市場(光復市場)
 さまざまな野菜が並ぶ。
 かつてはゴーヤーなんて、日本本土では珍しい野菜だったけど(昔の旅行ガイドでは、沖縄に行ったら一度食べてみよう的なノリだった)、もはやどこのスーパーでも売っている。日本と台湾の差もあまりなくなっているのだろう。日本本土で珍しいのはヘチマ(ナーベラー)ぐらいかな。
 こういうのも、日本が熱帯化してるというんだろうか。……というのは一応冗談だけど、壁面緑化としてそこらじゅうにゴーヤーが植えられているのを見ると、案外そういうことのような気がするのも事実である。

鴨母寮市場(光復市場)
 とはいえ大根やキュウリは、種としては同じでも品種が違う。台湾の大根は写真のような小さくてコロッとした白いのばかりだ。
 ニラの花は我が地元でも食べるけど、うまいよね。台湾ではおひたしにはしないのかな?

鴨母寮市場(光復市場)
 果物の店はだいたい屋外か、通りに面した辺りにある。まぁ暗い屋内ではうまそうに見えないよね(直射日光を避けたい肉と魚の店を優先的に屋内に入れた結果だろう)。
 リンゴ、ブドウ、モモ、キウイ、メロン辺りは日本と大差なし(リンゴは日本のものだと思う)。そういえば、ここの写真で君たちキウイパパイヤマンゴーだね、が完成するようだ。ああ古いネタだなぁ。

鴨母寮市場(光復市場)
 お、これも三つ揃ってるぞ。どうでもいいけどさ(現地では全く思い出しもしなかった)。
 真ん中は鳳梨釈迦だ。普通の釈迦頭はもっとボコボコしてるし、より球形に近い。そもそも釈迦頭は夏の果物なので、訪問した5月4日にはまだ並んでいない。
 ドリアンも必ずあるけど、これを食べさせる水果店には出逢ったことがない。まさかホテルで解体するわけにもいかないし(追い出されそうだ)、どこかで心おきなく食えないものかねぇ。

下土地公廟(総禄境廟)も内陣を見学

下土地公廟(総禄境廟)
 頂土地公廟と対をなす下土地公廟。
 その位置は変わっているらしく、元々あった場所にこんな看板が立っている。石碑には、民国72年に道路の拡幅に伴って移転したと書かれてある。

下土地公廟(総禄境廟)
 現在の下土地公廟。同じ通りに面しているし、実際にはたいして離れていない。そして現在地も非常に狭い。

※初回訪問時の記事はこちら。ほとんど内容はないので、無理に読む必要はないでごわす。

下土地公廟(総禄境廟)
 従って内陣もぎゅうぎゅうに詰まっていて、正面から土地公を拝もうとすると、外側から遠くを拝拝するしかない。
 こうやって左右の端から覗き込まないと、近くで見ることもできない。

 ともあれ主祭神の土地公だ。白髪ではないよ。


下土地公廟(総禄境廟)
 手前にある二つの像は特徴的な姿をしている。
 右の厳しい顔の像は、たぶん判官ではないかと思われる。その左の手に何かを持った神はよく分からない。

下土地公廟(総禄境廟)
 反対側にも同様におられる。
 こっちの方がさらに厳つい顔だ。土地公から見て右側が武判官だから、この像もやはりそうではなかろうか。

下土地公廟(総禄境廟)
 それにしても驚かされるのは、正殿の左右の神々である。
 我々から見て右側のこの神々は、もちろん土地公だ。つまり中央に土地公、脇にも土地公。そしてこちらは白髪である。にこやかな顔ではないけどね。

下土地公廟(総禄境廟)
 反対側も土地公。
 結局、主祭神手前の判官らしき神以外、みんな土地公だ。なかなかありそうでない廟だ。

 なお、写真の土地公神は開隆宮の奉仕によるとある。中央の祭壇には萬福庵の名前があった。いずれも市内の離れた地にある宮だ(両方とも今回の旅で訪問した)。
 別の宮が奉仕するというのが、どういう形態なのかは不明。土地公信仰は思った以上に難しいもののようだ。

下土地公廟(総禄境廟)
 その開隆宮側の祭壇には、刀と蛇が飾られていた。これも良く分からないが、日本の信仰の認識でいえば、いわゆる俗に言うシンボルだよね。そういう目で見ると、刀の柄もそう見えてくるぞ。
 開隆宮は子どもの神様だし、有り得る話かとは思うが、実際はどうなんだろう。