2009/09/06

阿憨鹹粥(台南市北区)で魚頭にチャレンジだ!

阿憨鹹粥
 今回は一度だけ訪問した阿憨鹹粥。疲れていたのか朝起きれず、九時をまわってからの訪問となった。この日に限らず、どうにも朝は目が覚めない。前回は連日早起きしていたのだが、台南(というか首相大飯店)への慣れだろうか。
 鹹粥については、奇をてらわずに頼む。写真はいうまでもなく魚肚粥。これと普通の鹹粥を食べた。普通の鹹粥にも、たっぷり身は入っているので心配はない。

阿憨鹹粥
 そして、前回目の前で見せつけられた魚頭にチャレンジ。
 虱目魚の頭をじっくり見たのは初めてだったが、これで目は見えるのだろうか。写真でも分かるように、かなり厚いゼラチン質に覆われている。

 まぁしかし、食べて分かったが魚頭は時間との勝負である。冷えるに従って急速に生臭くなっていく。相当に魚が好きな人以外は試さない方が無難だ。
 この日のスープは全般にぬるめだった。やはり時間が悪かったかなぁ、と反省しながら店を出た。

前回の訪問記はこちら。併読した方が店の様子がよく分かるぞ。

開基陰陽公廟

開基陰陽公廟
 首相大飯店から公園路を少し北上、北忠街の交差点を過ぎたあたりに、小さな祠があった。ちょうど小学校の向かいである。
 しかしまぁ、また「開基」かよ、と思ったのも事実。しかもこの廟はいわゆる集合住宅の一角であって、ちっとも由緒を感じさせないわけだ。

開基陰陽公廟
 黄柏芸『台湾的城隍廟』によれば、城隍廟において陰陽司公は秘書官的な役割を担うという。陰陽をすべて見渡し、城隍神の巡察の輔佐となる……というのは、いかにも官僚制度的な説明なのだが。

開基陰陽公廟
 あしゅら男爵(古いな)のような主祭神。ここでの呼び名は、扁額にもある「陰陽都総管」らしい。

 なお『台湾的城隍廟』によれば、陰陽司公を主祭神とする廟は珍しく、台南市公園路の「陰陽公廟」だけだという。あれ?、それってここじゃねーの?、と思ったわけだが、紹介されている写真は全く違っている。
 もしかしたら、ここは移転先なのかも知れない。『台湾的城隍廟』は2006年刊なので、そんなに古い写真ではないはずだが……。

2009/09/05

振發茶行、再訪

振發茶行
 台南にいる以上行かずにはいられない振發茶行。東嶽殿と台湾府城隍廟にも近いという、良いのか悪いのか微妙な場所にあるので、我々にとっては非常に行きやすかったりする(この日は清祺素食早點で朝食の後、台湾府城隍廟、東嶽殿とまわってここへ)。
 厳おじいさんに京都土産と前回の写真を渡して、お茶は一斤単位で購入。前回買ったお茶は四種類あったが、飲んで評価が高かった二種にしぼった。安い烏龍茶(一斤800元)は水出しでもうまい。もう一つの合歓山高山茶(同1900元)は、さすがに勿体ないのでやらないけど(ここ数日は涼しくなって、水出しのシーズンは終わった感じも)。
 この日はまだ断水中。おじいさんに台風の時の話などを聞いた。実のところ、現地の情報をきちんと聞けたのはこれが初めてだった。

振發茶行
 こちらがお土産(ちなみに言っておくが、単なる生八つ橋である)をもって来たために、かえって気を使わせてしまった。
 おじいさんがメガネをかけているレアな写真は、振發茶行(振發茶荘とある)も掲載された『台湾百年企業』という冊子(中華民国経済部国際貿易局発行)に、サインを書いているところだったりする。
 hashiの祖父と同い年の厳さんのサイン本は、我が家の家宝である。ありがたやありがたや。

 なお、『台湾百年企業』シリーズは映像もある。実は私はちゃんとyoutubeで旅行前に見ていたぞ。

東嶽殿(四) 西の方へ・神界へ

東嶽殿
 紙で作った白馬は、冥界への出入りに使用する。法師も死霊も、移動手段がなければ救えないということらしい。

東嶽殿
 死霊自体も人形に憑依させるわけだが、この写真の人形は死霊ではなく、薬王かと思われる。
 打城法事では、死霊をただ救い出すだけではなく、その治療を行うという。なので薬王(神農)も呼ばれている。まぁ実際に見たわけじゃないので、違うかも知れないけどね。

 打城法事をきちんと知るには、通訳が必要だなぁ、としみじみ思う。
 自分がそこまで勉強するのが理想なのだが。

東嶽殿
 上の願文は、写真に撮らせてもらった。親切なのは非常に有りがたいが、住所から親族構成まですべて書かれているので、本当に見て良いものか困ってしまう。
 台湾での祈祷は、きちんと住所と名前を書いて行うことがほとんどである。いや、日本の祈祷だって現住所と戸籍名を書くんだろうが、それらを人目にわざわざ晒しはしないだろう。
 たとえば受験の祈願ですら、身分証明書のコピーが貼られていたりする。個人情報まる分かりである。月下老人のところに貼られた結婚写真だって、日本ならきっと隠すはずだ。少なくとも自分は京都市内の某神社に自分の写真なぞ貼り出したくないぞ。
 ……もっとも、安井金比羅宮の絵馬には現住所と戸籍名がガンガン書かれている。あれはほぼ確実に当人の意志とは関係なく(むしろ意志に反して)懸けられた絵馬だから、本当は日本でも似たような思考が存在しているのかも知れない。

 さて、話を戻してこの願文だが、親族の続柄や名前を書く欄の先に、印刷された文章がいくつか載っている。まず一つ目は、不幸な死を遂げた者がいて苦しんでいるので、供物を捧げて祈願するのでよろしく、というような内容。二つめは以下の内容だ。

仁聖大帝 作主恩典赦罪、右者亡霊、前生今世、諸般罪愆赦除、萬罪具消、随時赦旨、呈転送到。枉死城池超拔釈放 十五 位亡霊真魂正魄、出離地獄、給本壇神祗引回壇前沐浴更衣浄体、消除口愿、享受功徳、領受庫財。


 このうち、「仁聖大帝」は赤いハンコで押してある。また「十五」は手書きだ。右側に書かれた親族の名がちょうど十五名なので、その数字だろう。
 仁聖大帝とは、東嶽殿の主祭神、東嶽泰山天斉仁聖大帝である。

東嶽殿
 ちなみに、この方に見せてもらった(左の人がもっている紙だ)。これから祈願するという時に、見ず知らずのおかしな旅人に親切に教えてくれた呉さんの一族に、平穏な日々が訪れるよう我々からも願っておく。残念ながら東嶽大帝に伝える術はないし、まして我々が今来の神ってわけでもないが。
 願文の最後にはこんなフレーズが載っている。西方と天上界が並び立つあたり、まるで『日本霊異記』のようだと思った(そしてこの記事のタイトルは言うまでもなく折口大先生のパクリでござる)。

引転西方、早登神界、祈求家宅老幼合家平安。

2009/09/03

東嶽殿(三) 幸福な人生を

東嶽殿
 枉死城の城門を打ち破ったからといって、それだけで死者が幸せになれるわけではない。東嶽大帝に許しを乞い、正常な霊として送るためには、現世でやり残したことを達成させてやらねばならないのだろう。
 まだこの辺は勉強不足でよく分からないのだが、冥婚みたいなこともするらしいし、恐らくこの家は、現世で達成できなかった幸せな家庭なんだろうと思う。
 未婚の死者、水子、そんな人間を婚姻という秩序に組み込んで、正常な死を演出するってとこか。

東嶽殿
 実はこの家、近くの店で作っていたぞ。
 なんともシュールな景色だった。間違ってもお土産にしちゃダメだぞ。

2009/09/02

東嶽殿(二) 枉死城

枉死城
 二度目の東嶽殿は、いきなりこれである。
 異常な死を遂げた者は、死後も幸せな国には住めない。そんな死者が生者に祟った時に必要とされる、打城法事の主役である。
 法師はそんな騒がしい亡者を城から救いだし、東嶽大帝に放免を願うことになる。

枉死城
 異常死者を掬い上げて「正常死」の状態にするという発想は、日本を含め世界各地にみられるものだろう。
 もちろんウナヒヲトメのように、いくら歌に詠われても土地に留まり続ける例もある。とはいえ、ここで対象とされる死者は、そんな特別な死者ではあるまい。

※幸せな住居もいずれ登場するよ。

2009/09/01

開元寺(十二) 圓光寶塔

圓光寶塔
 まだまだ続くよ開元寺。『台南歴史深度旅遊』にすら触れられないもっとも奥まったエリアに、何やら不思議な塔が建っている。
 開元寺が発行するパンフレットでは、なんとこの塔が表紙。1931年(昭和六年)に、証峰法師こと林秋悟(駒澤大学に留学した名僧だ)が設計したとのこと。
 塔の詳細は資料がないが、どうも文字を見る限りでは、悟りの階梯を示すもののようだ。左の塔の最上階が「真解脱」、中央の最上階は「佛日増輝」。

燈籠
 手前には見慣れた感じの燈籠もあった。
 この燈籠には(写真では見えないが)「台南市 漱竹居献敬」とある(その下に「洪」と「松」が並ぶが、恐らくその下にも文字が続いていただろう)。

※『台南歴史深度旅遊』で無視されるのは、日本統治時代の産物だからかも知れない。