長らく放置している当ブログ。もう内容も古くなっているので情報源としてはアテにしないでほしい。
台湾に対する興味が失せたわけではないが、旅行する余裕がないというのが正直なところ。そうこうしているうちに旅行費用も跳ね上がったし。
ちなみに、掲載している写真は、時々使用している。自分で撮影した写真なのでもちろん手元にあるけれど、ブログからダウンロードした方が早いので、そういう意味では今も利用しているわけだ。
で。
derorenは普通に日本生まれだが、実はderorenの父は満州生まれである。
かつての傀儡政権満州国への開拓団に祖父が関わっていて、5歳で日本に帰国したのだ。
その頃の話を、祖母からは生前一度も聞いたことがなく、父の話も断片的だったが、最近少しだけ聞くことができた。
祖父は…、derorenが生まれる前に亡くなったので、額縁の写真でしか知らない。
祖父、祖母、父、そして父の弟はハルピンに住んでいた。
そして1945年の敗戦直後、祖母と父は二人で脱出して船で九州に渡った。祖父は別行動で、国内で移動中にいつの間にか合流していたという。
弟は…、日本には渡っていない。嬰児で亡くなったからだ。祖母が亡くなった時に戸籍を見て、初めて存在を知った「叔父」だった。
父は旧満州を脱出中、たびたび現地人に手を引っ張られたという。
当人は、あそこで引っ張られて残ったら、残留孤児になったと言うが、詳細はよく分からない。
九州から東北までは、無蓋車に乗って帰った。
そして祖父の実家に転がり込んだが、実家がとても手狭になり、祖母の兄弟のツテを使って現在の土地に移る。
数年後、祖母の姉の家にいた祖母の母(宇和島出身の曽祖母)がやって来て、一年ほど同居して死去。
祖父は県庁でそれなりに出世したものの、50代で胃ガンで死去。
derorenは祖父の実家も知らないし(祖父の次兄には会ったことがある)、祖母の兄弟姉妹で知っているのはすぐ上の姉だけ(上記の姉とは別人)。
なんにも知らず、知る機会もなく、知ろうともせずに生きてきた。
なのに、血縁もない台湾の歴史をこうやって調べて書いていた。おかしな話だ、と思う。
なお、derorenの祖母の家系はちょっとだけ名が知られていたりする。藤沢周平『又蔵の火』のモデルになった土屋家の末裔なのだ。つまりderorenも子孫だぜ。
復刻版『土屋両義士』がなぜか家にあって、初めて知った程度のことだが、祖母は「うちは武士の家だ」と昔は言っていたそうな(祖父は百姓の子孫だす)。
とりとめのない話を書いてしまった。
一応、derorenも家族も生存しているという安否確認を兼ねて更新しておく。
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