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2010/12/29

M-1グランプリ2010と旅行記

 M-1グランプリの最終回を見た。実は毎年この時期はお笑い関係をマメにチェックして、必ず敗者復活戦をスカパー生中継で見て本番に臨んでいたりする。そのおかげか、最終決戦ではブラマヨ以降すべて当てているぜ。
 まぁネタを見た上で当てるのだから、大した難易度ではないけどさ(番組開始前の予測は無意味なのでやらない)。

 リアルなderorenは芸人みたいなことをやっていると、自分では思っている(あんまりここで具体的には書きたくないのでぼかす)。
 自分は他人より優れた成果が出せるはずという思いこみを支えに、ライバルを蹴落とすつもりで出かけてしゃべったり、書いたりする。他方で出世競争には、もちろん実力以外のさまざまな要素が絡む。いや、学閥やコネや媚びも含めて実力なのだが、ともかくその辺もお笑い芸人の世界に似ているなぁ、と思うわけだ。
 で、今のderorenは、M-1のような大会が仮にあったとしても、優勝できないだろう。そう思いながら、でもギリギリ決勝に引っかかるぐらいは行けるかもなぁとか、根拠もなく夢想している。言葉にすると青春真っ盛りのガキのようだ。あらかじめ、逃げの要素をちりばめている辺りがこれまた青春していて反吐が出る。

 でもまぁ、そんなもんでしょ? 同業者は仲間だって考え方もあるけれど、窮極のところでいえば、そうそう他人を評価などできない。他人が自分より優秀であれば、自分は不要なのだから。
 お笑いという敷居の低い業種のシビアな面を見せてくれる大会として、derorenはM-1を支持しているのである。逃げ道を用意しながら舞台に立つ芸人が、いかに無価値かを知る意味でも。


 今年度はその意味で、志の低い芸人が大会の権威をおとしめた大会だった。特にカナリア、ジャルジャル、ピースは、あれをラストとして足を洗ってほしい。可能性のない若手を若手と呼ぶ必要はない。
 スリムクラブの野心は大会を救った。まぁそれだけの大会では、幕を引くのも仕方ないかなぁと思う部分もあるけど、逆に言えば一組でも発掘できるのだから、何らかの仕組みは残してほしい。実際、恐らくは何らかの形で後継番組が企画されるだろう。その際には敗者復活戦を本来の形に戻してほしいと強く願う。
 決勝に上げるべきコンビをわざと落とすような真似をすると、他の芸人たちが本気でやらなくなってしまう。今年の敗者復活戦なんて、パンクブーブーだけが異次元で、予想する意味すらなかった。

 敗者復活戦は素晴らしい興行である。はっきり言えば、たとえそこまで残っていても、将来性を感じないコンビが半数以上である。で、彼らの酷いしゃべりに耐えていると、時々野心に満ちたコンビが現れる。自ら志願して道化になる連中のおかげで、サンドウィッチマンみたいにギラギラした連中が引き立つのだ。
 だって、普通は「あなたは鶴を引き立たせるための掃き溜めです」と言ったら出演してくれないでしょ? なのにここには、嬉々として掃き溜め役を演じるコンビが揃うのだ。あれほどのエンターテイメントはない(これは地上波のダイジェストでは決して伝わらない。同時に、現地で寒さに耐えてる観客には心から敬服する)。


 で、台南旅行ブログでこの無関係な話題を振るのは、別に時事ネタでアクセス数を増やすためではない(おかげさまで日々のお客様は安定しておりやす)。旅行記とお笑い評論の類似点をあぶり出そうと思ったわけである。
 お笑い評論と(お笑いという芸自体と)旅行記には共通点がある。それは、誰でもできそうだと思わせる点だ。

 M-1があれほどに盛り上がったのは、それ相応の審査員に(少なくとも決勝だけは)ガチな審査をさせたからだ。ところがそのガチな審査は、実は専門家ばかりではなく、会場やテレビの観客たちも同様にできると、多くの人々が思っている。なぜかといえば、お笑いは日常的に人々が交わす会話の延長上にある、という認識が存在するからだ。そこに無数のお笑い評論が生まれる素地がある。
 旅行記も同様に、旅行関係の情報を提供するプロがいる一方で、誰でも旅について企画し、旅をして感想を述べることができる。というか、旅行の当事者は基本的にプロではない。
 そういった敷居の低さによって、ネットに多数のお笑い関係ブログや旅行記ブログが溢れるのである。

 しかし、両者は本当に誰でもできるものなのだろうか? 既に機能不全の某匿名掲示板をはじめとして、お笑い評論とは名ばかりの、独りよがりなつぶやきにはうんざりだ。同じく、見ず知らずの他人がどこにいて何を食べたかなんて、全くどうでもいい。
 たとえば私が5月に台湾に行ったというだけで、読みたくなる奴がいるとすれば、せいぜいリアルな知り合い程度である。そんなものを公開する意味はない。無理に公開すれば、まさしく敗者復活戦の掃き溜めが関の山だ。

 お笑い評論でも旅行記でも(お笑いという芸自体も)、伝える内容とその対象を、具体的なヴィジョンとしてまず定めることが第一の作業である。そして、選んだ対象に的確に伝えるために、どんな言葉を選び、どんな論理展開を使うかを考える。要するにそれは、プレゼンの基本である。知り合いとの日常会話の延長ではいけない。友だちを笑わせるのは芸ではないのだ。
 最初のヴィジョンが欠けた評論や旅行記は、それを示さずに伝わる範囲で閉じられてしまう。だから他者にとっては価値がなく、時間の無駄を強いる結果に終わる。
 当ブログもそうであるように、旅行記の大半は非営利である(お笑い評論もね)。とはいえ、不特定多数に読んでもらうことを目的としている以上、それなりの責任が伴うと考えている(リアルなderorenが信用を失わないように、という意味でも)。一応、自戒も込めてこの記事を書いている。

 まぁ当ブログに関しては、滅多に出かけられない土地を紹介するというハンデがある。従って旅行記の大会が開かれても優勝できないだろうと思っている(どんな大会だよ、とかツッコまれても知らん)。これが言い訳だ。非営利というある種の言い訳も含めて、derorenの限界だ。
 その代わり、旅行者に台湾の歴史や民間信仰を伝えるという一芸においては、少なくとも日本語ブログで一番を狙っている。そのぐらいの野心はないと、敗者復活戦の鶴にはなれまい。敗者復活戦の鶴は一羽じゃないから、それだけでは、決勝には進めないけどね。


 まぁ要するに当ブログは、敗者復活戦で評価されるけど本戦で優勝候補には挙がらない辺りを目指している、という志の低いつぶやきでござんす(2006年の髭男爵みたいなものだな)。最後まで読んだ方には、エビゾウ並みに心からお詫び申し上げてもいいような気がする(あれ?)。

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