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2010/09/22
択賢堂と報恩堂(外観のみ)
現代の日本において、在家仏教という概念は難しいものである。何といっても、大半の僧侶は肉を食うし妻帯して子どもを作るし、挙げ句の果てには祇園で女を侍らせたりする。そういう僧侶を出家僧とは呼べないが、かといって在家仏教でもない。
最近はもしかしたら、現代語訳の経典を趣味で愛読するなんて人もいるかも知れない。しかしそうした人の中で、在家仏教に数えられる人はまずいないだろう。なぜなら在家仏教は、出家仏教と同じく、仏教修行者としての戒律を守らねばならないからだ。
単に都合よく経典を読むだけでいいならば、derorenすらも在家仏教者になってしまうゾ(derorenがいかに戒律とかけ離れた存在か、ブログの読者ならよく知っていよう)。
千二百年前の『日本霊異記』には、在家仏教者の優婆塞がたびたび登場しているから、そういう仏教が日本に存在しなかったわけではない。
けれど教団というピラミッド型システムの中で、仏教修行者としての資質を問われることもなく暮らす方が、きっと楽だったんでしょうな。
余談はさておき、台南には在家仏教の寺院がいくつかある。当ブログではその中でも西華堂について、いくつも記事を書いている。首相大飯店の近所という条件もさることながら、日本の寺院ではなかなか感じることの出来ない空気が好きで、5月の旅でも訪れている。
宗教のごった煮状態が当たり前の台南で、戒律が守られている寺院は、それらとは無縁の緊張感がある。出家仏教の開元寺も合わせて、台南の仏教寺院を読者の皆さんも体験してほしい。
※西華堂や開元寺の記事については、たくさんあるので台南の名所紹介記事から辿っておくれやす。
で、ここは択賢堂。台南の旧勧業銀行の南の路地にある(大通りに看板があるよ)。実は去年もここは訪れていて、記事もいちおうあったりする。ただ当時は『台南歴史深度旅遊』も手元になかったので、内容はゼロに等しいから読まなくて結構でござる。
事前に申し込まないと見れないので、今回も入口から覗いただけ。本当に見たかったら、ホテルを介して頼む方法もあるだろうが……。
択賢堂は1879年に報恩堂から分かれた、斎教先天派の斎堂である。元はかなり装飾も少ないシンプルな堂だったようだが、報恩堂との縁が薄くなり、たびたび改築する中で、だんだん台南の廟っぽくなっていったそうな。
まぁ実際、いくつか在家仏教の寺院を見た後で見直すと、かなり派手である。
ズームで無理矢理撮ってみた。中央の像は観音だそうだ。
ちなみに「戒律が守られている」と何度も書いているが、台湾の在家仏教の戒律とは、『四分律』とか『梵網経』みたいなものをただ守っているわけではない。そもそも斎教は純粋な意味での仏教ではなく、道教や儒教も取り込んだ三位一体の宗教なのだ。
で、報恩堂の前も通ったので一枚。ここは旧勧業銀行の北、鄭氏家廟の裏である。
報恩堂は択賢堂と比べても簡素なたたずまいらしいけど、何せ堅く門が閉ざされていたので、全く中は見れなかった。
奥行きはかなりある。
清の順治年間に生まれたという先天派斎教は、19世紀の後半に台湾に伝わった。そして台湾最初の斎堂として造られたのが、この報恩堂であった。
ちなみに斎教先天派は、斎教の中で唯一、結婚を禁ずる戒律をもっている。そのために最近はあまり振るわないらしい。まぁこればかりは仕方ないよねぇ。
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