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2010/09/08
萬福庵(二) 四天王も歩クンです
萬福庵の二階は、かなりの奥行きがある。
この写真は近寄って撮影しているが、祭壇部分全体が高くなっていて、数段の階段付きだ。つまり、建物内部で前殿と本殿という構成を再現している。
本尊は「三宝仏」とある。どうやら阿弥陀の模様。
阿弥陀三尊といった場合には、脇に観音もいるわけだが、ここで両脇にいるのは菩薩ではなく、ただの侍女である。門神として描かれる人たちだ。
手前のメタボな人は弥勒だ。弥勒と阿弥陀は住んでる場所が違うような気もするけど、その辺は気にしないでおこう。
さて、ここまでは台湾的ではあるが仏殿の範疇である。しかし写真の左端に赤ら顔の人が写っている。こちらこそが台湾的なのかも知れない。
赤ら顔の人は護法尊者だという。まさか『唯識三十頌』の注釈を書いた人ではあるまい。
仏教系で、反対側が韋駄であることから考えれば、伽藍であろう。ただしこの護法尊者は実に関帝に似ている。
実はネットで検索すると、関帝が仏を守護する神となったのが伽藍神だ、みたいな説は見つかるのも事実。いずれにせよ、ここで問題にすべきなのはこの神は腹に覗き穴も開いてるから、間違いなく歩く神だってことである。
韋駄も歩く。というか、この韋駄は中壇元帥あたりにしか見えない。
そして次からが衝撃の映像だ。
手前は広目天王、奥は増長天王とある。そう、四天王も歩くらしいぞ!
反対には持国天王と多聞天王だ。四天王までこんな造りになっているとは、やはり台湾恐るべし。
……もしかしたら北港でも彼らに出逢っていたのかも知れないなぁ。
これは仏像の前から振り返って天井を見たもの。奥に「小西天」という扁額がある。
「小西天」という扁額はどうも方々にあったようだ(開元寺や竹渓寺にあるという)。「小南天」もあるし、地名なのかと思ったけれど、どうも仏教絡みの言葉らしい。要するに小さな西天(インド、もしくは西方浄土)という意味の模様。
なお『西遊記』に、孫悟空が小西天に行くエピソードがある。ここの額はその意味の可能性もある。もちろん阿弥陀の西方浄土でも意味は通じる。
そんなわけで、可動式四天王を見た後は、別棟へ向かう。
この廟はなかなか複雑な構造なのだ。
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