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2010/07/08
大龍峒保安宮(二) 註生娘娘の聖誕春秋
2010年5月3日の保安宮には、沢山の花が飾られていた。
正殿に向かって並ぶ花には、「保生大帝聖誕春秋」とある。保生大帝の誕生日は農暦(旧暦)3月15日とされているようだ。本年5月3日は農暦3月20日である。
……それはいいのだが、「聖誕春秋」は分かるようで分からない言葉である。春秋は恐らく(人間でいうところの)死亡日を指すのだろう。その辺の違和感は、次の「聖誕春秋」と合わせた時に、読者の皆さんにも伝わるでのはなかろうか。
こちらは正殿の左側。印象的な建築の鼓楼の前にも、沢山の花が並ぶ。
鼓楼の下には註生娘娘が祀られる。花には「註生娘娘聖誕春秋」と書かれているわけだ。
註生娘娘の誕生日は農暦7月20日とされる。従ってこの花は誕生を祝うものではない。3月20日は千秋であり、神になった日ということになる。
まぁしかし、神としては「聖誕」なのだから、これはこれでいいのか。いや、その場合むしろ人間としての生誕は「聖誕」じゃないだろう。
ともあれ当日だったので、中では読経が行われていた。媽祖に対する場合もそうだったが、ここでも女性のみ。女性神だからということで良いのだろうか。
残念ながら内容は分からないので、雰囲気だけ味わう。
註生娘娘は、子どもの健全な成長を願う人が拝拝する神。生まれる前の胎内にいる段階から拝拝するもののようだ。
董芳苑『台湾人的神明』によれば、その出自はあまりはっきりしないらしい。董氏は臨水夫人辺りと関連するのではないかと推測している。
「註生」とは生育を意味する。「娘娘」は夕焼けナントカではなく、后妃の類を指す呼称。要するに、高貴な身分であるという主張である。
読経が終わった後に撮影。
註生娘娘を祀る際には、花公と花婆をともに祀るそうな。そんなこともあってか、花でいっぱいだ。
別の角度から。
どちらかというと暗い廟が多いなかで、ここは相当に明るい。
こんなところにも花が飾ってある。もう完全にいけばなですな。
なお、大正7年(1918)の日付にも注目。元々の意匠から花いっぱいだ。
こうして台北最後の観光を終え、我々は円山駅へ戻る。
いよいよ今回の旅のメインといえる地へ、大移動の開始である。
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