2010/04/02
旧台南州會(台南市議制史料館)
台南の政治機構はなかなかややこしい変遷を重ねているので、私の理解は怪しいと先に断わっておく。
台南州會とは、台湾の行政単位が「州」になった後の台南州に1935年に設置された機関である。「台南州協議會」と紹介されることもあるが、これは間違いだ。州協議會は単なる諮問会議で、州會は議決機関(つまり議会)。
この議会設置は、台湾人を戦争に狩り出す代わりに、本土並みの権利を与える政策の一環である。州會のメンバーは半分が官選なので、日本政府に不利な議事は通らないナンチャッテ議会に過ぎないようだが、戦後の台湾がこのレベルに回復したのはほんの二十年前という事実もある。
台湾というよりも、皇帝統治の世界観と「民主主義」は相容れないものだ。しかし、その世界観を排除するためには、玉皇上帝や城隍神といった信仰の体系にメスを入れなければならないだろう(神々の統治機構も、事実上は皇帝の統治機構の一部をなしている)。
つい最近も台湾プロ野球の八百長問題で、台南県議会の議長が逮捕されている。議長が賭博組織のトップだったなんて冗談のような話だが、台湾の国民党系議員は元々ヤクザだらけなわけだ。ヤクザだろうとなんだろうと、天が選んだ者なら何でも出来る。そういう素地を作っているのが、上意下達な信仰の体系なのではないか。
なお、州會設置と同時期に日本は神社信仰を強制し始めていた。もちろん台湾に神社信仰は全く根付かなかったが、それは統治機構の一部である漢民族的信仰体系に対して、政府の作った神があまりにプリミティブだったからなのかなぁ、と思う(国家神道を立ち上げていても、国内のすべての神々を統括する体系は存在しない)。台湾の人々にとって、日本的現人神は幼稚でいい加減に思えたのではないか。
でも、幼稚でいい加減な神の国だから、上意下達から多少は逃れることが出来たのかも知れない。ややこしくなって来たのでやめよう。
さて、思いっきり話がそれた。
derorenはつい二日前まで、議決機関ではない会議だらけの職場にいたので、何となく書いていくうちにこうなってしまった。世襲の学校法人における会議は、州會並みに無力である。ただそれだけの話だ。
戦後の国民党政府の元では、台南市議会がここに置かれた。
全景の写真がないので分かりにくいが、この建物は台南州庁の庁舎と隣接し、連絡通路も設けられている。現在の埋め立て地に移転するまで、中身がどうであれ議会に使われていたのである。
現在は議会関係の資料館みたいになっているのだが、中はなんだかよく分からなかった。一階はただの店舗みたいだったし。
その方面に興味のある人以外は、わざわざ行くような場所ではない。
この建物は、むしろ裏から見た方が印象に残る。孔子廟側から山林事務所横の駐車場に入っていくと、州庁舎とともにこの景色が見える。
※現在は基本的に台南市摂影文化会館として使われている。公式サイトはこちら。
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