台南市街の北西、文賢路と信義街の交差点に小さな門が残る。
兌悦門の兌とは八卦における方向を意味する。道光15年(1835)に造られた門で、城外に発展していた五條港地区を護る役割を担った。そして、台南市街を囲む門のなかで現在唯一つ元の場所にあって、今も現役の門として利用されているわけである。
内部を見ると、典型的な蠣殻セメント建築であることが分かる。
丸っこい岩のような部分は、珊瑚である。これも安平で見かける伝統建築素材。この城門の通称は老古石城(もしくは甕城)であったそうな。
反対側から。石横額がないので非常に単純な造形である。しかし国民党統治初期の写真(『台南歴史深度旅遊』に載っている)では、上部に突起があって、もう少し城門らしくなっている。
日本軍が台湾に上陸して、最初にやったことが城壁の破壊であった。にも関わらずこの門が残ったのは、恐らくは信義街がメインストリートから外れてしまった事情によるだろう。
せっかく日本統治時代を生き抜いた門の上部に、その後何が起きたのか。ガイドには何も記されていないぞ。
近くのバイク屋は猫だらけだった。
実はこの門のそばにも、ガジュマルの巨樹が聳えている。上で触れた六十年前の写真にも載っている(ただし樹高はだいぶ低い)。
ここから続く信義街は、神農街などと並ぶ古い通りだが、こちらはちっとも観光化されていなかった。詳細はこの後のコラムを刮目して見よ!(……いえ、刮目はしなくていいです)
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