水仙宮付近は今では海から遠く離れているが、かつては台南の港湾エリアであった。そこには五つの港があり、五條港と呼ばれたという。
神農街はその五つの港の一つ、南勢港の北側にあったので北勢街の名がある。神農街という現在の名は当然のように神農氏に由来する。この通りの突き当たり、薬王廟に神農氏が祀られたのが理由らしい。
都市の中心部に残された街並は、今やレトロを売りにした台南きっての文化エリアとなりつつある。まぁ、この通り自体にはたいした変化はなく、交差する海安路がえらいことになっているわけだが。
まぁしかし、そもそも建物が和洋中の折衷って感じなのよね。
無理すればヨーロッパのどこかと言っても騙せるんじゃないか。やっぱり無理?
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