接官亭石坊と風神廟、西羅殿は一箇所にかたまっている。なかでも先の二つは事実上一体化。というか、接官亭は址地に過ぎない。
この接官亭は、文字通り官を接待した場所である。清の頃の台南では、この辺がまさに船着き場であった。そこで大陸からやってきた官員を最初にここで迎えたわけである。
なお、ここは城門(大西門)のわずかに外側。蒋元枢が作らせた一八世紀の地図には、風神廟と並んで描かれている。
「鱉柱擎天」とある。スッポン?
風神廟は、その清の官員たちが拝拝した廟である。船で往復する彼らだから、風神に祈りを捧げるのはごく自然なことといえる。
ただし、ここには日本統治時代に移転した。元々はもう少し遠かったが、今の民権路を広げる際に以前の廟は破壊され、接待する相手のいなくなった屋敷址に移転させられたわけだ。
なお、我々が訪れた時は祭礼が近かったようで、石坊の周囲には幔幕が張られ、風神廟内部では何やら打ち合わせ中だった。
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