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2009/05/04
頂土地公廟(一) 土地公とは何か
崇安街の北側にある廟。一応は観光ガイドにも載っているが、廟としてはごく小さなものであった。
なお、全景の写真を載せようと思ったら、すべて相方が写りこんでいたので断念。まぁ、特別な外観ではない。
追加。翌日もここを通っていたので、ちゃんと撮っていたぞ。
○土地公
「土地公」とは、日本的にいえば産土神である。土地の精霊たちを守護神として祀るもので、「福徳正神」と改まった名で呼ばれることもあるらしい。一般には「土地公伯」「福徳爺」「大伯爺」「后土」など。
いわゆる整理された神々の統治機構においては、上位の神に従って一地域の平安を守る役割を担うとされる。交番のようなものと喩える本もある。なお、「土地婆」という女性神と一対の場合もあるようだ。道祖神のようなものか。
最近は、台湾人のアイデンティティを象徴する土着神として、政治家がこの神を讃えることもあるという。つまり、福建や広東から移ってきた神ではなく、在地の神を大切にすべき、といった主張だ。日本の神社が政治的に利用され続けることと、同様の発想のようだ。
しかし、日本各地の神社がそれぞれの共同体の信仰対象であったように、「土地公」も(例えば)台南市総爺街ならその街の人々が、土地の論理で信仰すべきものである。決して「台湾」などという大きく漠然としたレベルでの信仰ではない。
日本では神社本庁が各地の神祇信仰をズタズタに破壊してしまった(例えば余所から派遣された神主が、神社固有のしきたりを破壊した、など)。台湾の場合は、清や日本や国民党から常に負荷をかけられて、それでもこれだけ豊かな信仰が息づいているのだから、そんなに心配するようなことではないのかもしれないが。
○福徳正神とは?――『福徳正神金経』解説を読む
どこかのお廟でもらった『福徳正神金経』(ちなみに経文の中身はここに載っていた)を確認したところ、福徳正神は周の武王2年2月2日生誕の張福徳なる人物だったと記されている。人民を大切にする統税官として慕われ、102歳で亡くなったそうな。
で、張福徳の死後に白魏超なる人物が後を継ぎ、こちらは私服をこやすダメ人間だった。人民は張福徳の時代よもう一度ということで、彼を「福徳」として祀り、やがて「福徳正神」となった。そんな人民を魏超らは「ケッ、貧乏人が」とあざけったが、この福徳正神を信仰した家はやがて富み栄えるようになった。
周の穆王は噂を聞き、福徳正神に号を贈る。それが「土地公」だ……という感じの説明だ。
で、この非売品の経文は、「土地公」が仏教伝来以前の神であり、中国で最古老の神だと讃えている。「宏揚中華固有文化」なんて文句も見える。上にも書いたような、国粋主義的な思想である。
ちなみにこの経文は、誰が書いたとかいう情報が一切ない。寄付金で印刷して配布されるらしく、寄付した人の名前のシールが貼ってあるだけだ。こうやってじわじわと知らないうちに広まっていくってことだろうか。
※2010.8追記
土地公についてはその後もあれこれ調べている。また、この時は見ていない頂土地公廟の内部もじっくり見学した。そうした内容については、以下の記事に掲載。
・頂土地公廟(二) 総爺老街の北の鎮守
・頂土地公廟(三) だいぶ派手な後殿
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