「
台南・ダイアリー」の記事を読んで以来、我々にとってはある種の聖地と化していた開元寺。他の行き先と離れている関係上、最終日にようやく訪問だ。ホテルからタクシーで乗りつけたぞ。
鄭成功の息子の鄭経が母親のために建てた「北園別館」を、清の代になって寺院とした。その後の変遷については、『台湾廟宇図鑑』や『台南歴史深度旅遊(下)』にも触れられているが、いずれも「
台南・ダイアリー」より簡略である。
日本時代のことなんて、悪僧の宝山と日本人が結託して寺宝を売り払おうとしたら、(仏罰的なニュアンスで)宝山が突然に吐血して死んだので事なきを得た、という話だけ。日本統治期はある程度ネガティブに語らなければならない、という事情かも知れないが、宗派替えを含む激動の内実は、あまり書けない部分のようにも思われる。
なお、後に取り上げる開山堂内には、歴代住職の肖像とともに顕彰文があった。玄精和尚と伝芳和尚の伝記は、ある程度それで読める。
ガイドの類の写真では色が落ちているので、最近塗り直したようだ。
塗り直す前の方がワビサビはあるだろうが、景色になじみすぎて異境の入口って感じはしない。この世ではあり得ない世界なんだから、違和感を覚えるぐらいの色彩感覚こそ妥当ではないか、と思ったりする。
今回のオチ。ここの境内は病院の入院患者が憩う場だし、糞尿を垂れ流すペットの散歩なぞ許されるはずもない……なんて講釈はどうでもいいのである。
開元寺の記事は、いろいろ買った本の内容も吟味しつつ進めるので、時間がかかると思われる。三川門、弥勒殿、開山堂、大雄宝殿(本堂)……と続く予定。
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