飼料の量が同じでも大きく育つとか、赤身肉が劇的に増えるとかいう塩酸ラクトパミンについて、台湾で今議論が起きている。
一言でまとめれば、牛に与えることを認めているアメリカが、そもそも塩酸ラクトパミンを禁止している台湾に、食肉輸入を認めさせようと動いている。で、国民党政権は受け入れ、民進党は反対という状況らしい(大手スーパーも軒並み拒絶しているので、単なる政党間の問題ではない)。
我々が出掛ける先は民進党の牙城なので、当然反対する側になる。
アメリカという後ろ楯がなければ、台湾は存続しえない。それだけに台湾、特に国民党政権が、アメリカの要求を拒絶できない事情はあろう。基本的に似たような立場の日本と比べても、依存度には大きな差があるはず。
無添加無農薬を謳う台湾産の豆板醤が、遺伝子組み換え大豆を原料としていたりする事実もあった(私自身が買った岡山産のヤツにそう表示してあった)。日本ならば、どんなに添加物まみれであっても、遺伝子組み換え食品は使うまい。
derorenは、「福島から来る車は放射能が付着している」とか騒ぎ立てるほどバカではない。素人の浅知恵が、科学者の見解より上であるかのような言論には組したくない。
ただ、塩酸ラクトパミンについて言えば、リスクの説明が足らないのではと思う。導入側の論理は食肉残留度に偏っていて、生体に負担がかかるという反対側の主張と噛み合っていない。
業者の言い分では、動物実験では寿命が延びるらしいから、それなら人体実験でもすればどうかと思うんだけどね。赤身肉が増えて引き締まったボディが手に入る、とか。
まぁ台湾の議論は台湾の議論。
問題は、我々の旅行の際に、アメリカ肉の締め出しが何らかの影響を与えるのかどうか、だ。
牛肉麺とか牛肉湯には影響ありそうだよね。火鍋はどうせ食わないからどうでもいいや。
おっと。
屋台の牛排はどうする?
あれは薬物どうこう以前に合成肉だ。あんなものを喜んで食うヤツが、この問題を深刻に捉える方がよほど滑稽かも知れない。
2012/02/25
2012/02/24
寒い国から常夏へ
今月、derorenは某隣国へ旅行した。諸事情によりこの秋までは守秘義務が課せられているので詳細は書けないが(秘すべき内容などなにもないけど、そういう契約)、冷凍庫の中を旅する気分も味わえた。
その国……というか、国名を秘す必要はないので韓国は、台湾よりも多くの日本人観光客が訪れている。関空出発ならば沖縄や北海道ぐらいの時間で着いてしまうわけで、近さは得がたいアドバンテージだろう(格安ツアー料金は、台湾と大差ないようにも見えるが)。
derorenが滞在したソウル、釜山、慶州のすべてで、日本人の団体と遭遇した。まぁそれは、derorenの旅行にツアー会社が介在したという事情もあるのだが、ソウルでの自由時間に一人で北村を散策した時は、早朝で人通りもまばらなのにしっかり日本語が聞こえたゾ。
言葉の通じない海外は苦手…という層にとって、韓国は非常に敷居の低い行き先だと実感した。
でもなぁ。
とにかく寒い。韓国は寒いのだ。
derorenの滞在時期は、2月にしては比較的マシだったらしく、上下ヒートテック装備のおかげもあって何とか持ちこたえていた。しかし急に冷え込んだ某日のソウルでは、このままでは命に関わるのでは、というぐらい身体が冷えた。それこそ日本人だらけの仁寺洞、しかも真っ昼間に、だ。
まぁそれは、直前に古本屋で物色したせいだけどさ。
店構えも雰囲気も京都の古本屋と変わらなかったので、京都と同じ感覚で入り浸ったら、たった一つ違っていた気温にやられてしまった。
慶州は飛鳥っぽいし、ソウルは大都市だけにいろいろ掘り出せばあるし、観光旅行先として韓国を選択するのはアリだと思う。移動と買い物に関しては、ハングルが読めなくともある程度は何とかなったし。
しかし韓国は寒い。南国フルーツもない。というか、食材レベルで珍しいものは少ない(ほぼ同緯度の隣国なんだから当然だ)。やはり台湾の方がいいなぁ。
ちなみにtomopeeは、毎月かかさず病院の世話になっている。昨日も発熱で診療を受けたばかりだ。
慶州の屋外でも何度かベビーカーを見たけど、やっぱり寒いところより暖かいところの方が安心できるのではあるまいか。
その国……というか、国名を秘す必要はないので韓国は、台湾よりも多くの日本人観光客が訪れている。関空出発ならば沖縄や北海道ぐらいの時間で着いてしまうわけで、近さは得がたいアドバンテージだろう(格安ツアー料金は、台湾と大差ないようにも見えるが)。
derorenが滞在したソウル、釜山、慶州のすべてで、日本人の団体と遭遇した。まぁそれは、derorenの旅行にツアー会社が介在したという事情もあるのだが、ソウルでの自由時間に一人で北村を散策した時は、早朝で人通りもまばらなのにしっかり日本語が聞こえたゾ。
言葉の通じない海外は苦手…という層にとって、韓国は非常に敷居の低い行き先だと実感した。
でもなぁ。
とにかく寒い。韓国は寒いのだ。
derorenの滞在時期は、2月にしては比較的マシだったらしく、上下ヒートテック装備のおかげもあって何とか持ちこたえていた。しかし急に冷え込んだ某日のソウルでは、このままでは命に関わるのでは、というぐらい身体が冷えた。それこそ日本人だらけの仁寺洞、しかも真っ昼間に、だ。
まぁそれは、直前に古本屋で物色したせいだけどさ。
店構えも雰囲気も京都の古本屋と変わらなかったので、京都と同じ感覚で入り浸ったら、たった一つ違っていた気温にやられてしまった。
慶州は飛鳥っぽいし、ソウルは大都市だけにいろいろ掘り出せばあるし、観光旅行先として韓国を選択するのはアリだと思う。移動と買い物に関しては、ハングルが読めなくともある程度は何とかなったし。
しかし韓国は寒い。南国フルーツもない。というか、食材レベルで珍しいものは少ない(ほぼ同緯度の隣国なんだから当然だ)。やはり台湾の方がいいなぁ。
ちなみにtomopeeは、毎月かかさず病院の世話になっている。昨日も発熱で診療を受けたばかりだ。
慶州の屋外でも何度かベビーカーを見たけど、やっぱり寒いところより暖かいところの方が安心できるのではあるまいか。
2012/02/23
公学校用教科書『国語読本』と台南

※この記事は1月末に書きかけて放置していたものである。なので、一部の時系列がおかしいのは無視しておくれやす。
赤子連れ台南旅行は、3月挙行濃厚となっている。三人の体調も回復してきたし、今度こそは実現したい。
ちなみに、2月中の旅行がなくなった結果、tomopeeは満1歳で台湾入りすることが確定してしまった。毎日「この世の終わり」の勢いで泣きわめくし、手のかかることには何の変わりもないけどね。
さて、赤子はいずれ学校に行く。ということで教科書だ。言い切ってみたが強引にもほどがあるな。そもそも結びつける必要はあるのだろうか。
まぁそんな枕はさておき、南天書局から出版されている、日本統治時代の国語教科書を某大図書館で発見した。その話。
某大図書館では、いつも教育関係の棚を漁るのだが、その理由は「鄭成功の頌」をこの目で見つけたいからだったりする。一応『小西門』の本で確認できるとはいえ、個人的に孫引きは好きじゃないのだ。
とはいえ、確実に載っている「公学校唱歌」の本は所蔵されていない。何かのついでに載るほどメジャーでもないらしく、某大図書館という範囲では未発見のままだ(記載されていたという事実だけなら見つかった)。
……ただ、今回教科書を眺めたことで、一つ分かったことがある。「公学校唱歌」は、まさしく公学校でしか歌われなかったんだろうな、ということだ。
南天書局刊『日治時期臺灣公學校與國民學校國語讀本』は、一セットを除けば公学校で使われた教科書である。
そもそも一般人は公学校が何か分からないだろうから補足しておくと、これは台湾総督府が台湾人向けに作った学校で、日本人向けの小学校とは区別されていた。
日本人のガキと現地のガキでは基礎的な日本語力に差があるという名目もあろうが、周婉窈『図説台湾の歴史』などにも書かれているように、現地人の知的水準が上がらないよう分離したものだろう。
高度な知識と思考力を持てば持つほど、総督府による差別にも敏感になる。まぁ当ブログは政治を語らないので、これぐらいにしておく。
さて、四種の教科書のうち、最初のものは日本占領直後に刊行され、他とはかなり毛色が異なる。「太郎わ日本えゆきます」みたいな感じで、当時の日本語表記としておかしいのだ。
まぁ恐らく、発音を優先して丸暗記させ、台湾人が日本語を操る姿を演出したかったのだろう。もちろん、暗記はどこまでいっても暗記でしかないが。
他三種は、すべて当時の内地の教科書文法に拠っている。
台南に関してはこんな内容が書かれていたりする。
第十六 台南
「今日は正吉に案内してもらつて、方々を見て歩いたらよからう。台南は古い都だから見る所が相当にある。」と、をぢさんがおつしやつたので、私は、中学校に行つてゐる正吉さんに連れられて、方々を見物することにした。
正吉さんが、「台南神社・孔子廟(こうしべう)・開山神社・赤嵌楼(せきかんろう)、と廻つて、それから安平(あんぴん)へ行つて来ませう。」といふと、をぢさんは、「まあ、そんなところだね。安平の方は明日にして、先づ台南神社へ参拝するがよい。私も一しよにお参りしよう。」とおつしやつた。
台南神社は、をぢさんの家から近かつた。神前に拝礼をすまして、をぢさんは、「これから御遺跡所(ごゐせきぢよ)を拝観しよう。ちよつと待つてお出で。社務所に行つてお願ひして来るから。」といつて、社務所にはいつて行かれたが、間もなく若い神主さんと一しよに出て来られた。
私達は、神主さんの案内で、御遺跡所を拝観した。寝台(しんだい)も、毛布も、まことにおそまつなものであつた。宮様のやうな尊いお方が、かういふものをお用ひになり、こんなむさくるしいへやでおかくれになつたのかと思ふと恐れ多くて、胸がつまるやうな気がした。
御遺跡所を出ると、をぢさんは、「わしはこゝから帰る。あとは二人で行つてお出で。」とおつしやつて、うちへお帰りになつた。
二人は、台南神社からすぐ隣の孔子廟に行つた。こゝは孔子をまつつた所で、今でも毎年盛なお祭が行はれてゐるといふことだ。
それから、鄭(てい)成功をまつつた開山神社に参拝して赤嵌楼に向かつた。
「これはオランダ人がつくつたもので、もとはプロビンシヤ城といつたのです。それは、今から約三百年前のことで、その頃は、オランダ人がこの台湾を治めてゐました。その後は、鄭成功が治め、それから清(しん)の時代になつたのです。」
「昔は、こゝが首府だつたのですね。」
「さうです。」
「台南は、今、人口が.いくらありますか。」
「約十二万です。」
二人は、楼上に上つて四方を眺めた。風が強くてひどいほこりが立つので、遠い所は煙つてゐるやうに見えた。私はこヽで絵葉書を買つて、記念スタンプを押してもらつた。
「さあ、これで一通りすみました。今度は台南銀座(ぎんざ)を通つて帰りませう。」
「台南銀座といふのはどこのことですか。」
「台南で一番にぎやかな通です。東京で一番にぎやかな所が銀座だからさういふのです。」
なるほど、そのあたりは台北の栄町(さかゑちやう)通のやうなにぎやかな所であつた。うちに帰り着いた時は、ちやうどお昼であつた。
翌日はバスで安平に行つた。台南と安平との間には、バスの通る道に沿うて運河(うんが)がある。途中池のやうなものがたくさんあつたので、正吉さんに聞いてみると、あれが魚塭(ぎよをん)だといつて、色々説明してくれた。
十分もかゝらないで安平に着いた。磯(いそ)の香がぷんと鼻につく。バスを降りてすぐ赤嵌城址(じやうし)に上つた。こゝは小高い岡で、オランダ人のきづいたゼーランヂヤ城のあとであるといふことだ。正吉さんは、
「昔は安平は一つの島で、台南とははなれてゐたのださうです。今、僕等が通つて来たあたりは海だつたのです。安平の港も、昔は北の淡水(たんすゐ)と並んで、ずゐぶん盛なものだつたさうですが、今はこの通りすつかりさびれてしまひました。」
と話してくれた。沖を眺めると、ジヤンクが一さうさびしさうにかゝつてゐるだけで、遠浅の港には、波の音だけがさわがしく聞えてゐる。昔の繁栄(はんえい)は、どこにも見出すことが出来なかつた。
こゝを下りてから、製塩会社に行つて見た。こゝには煎熬塩(せんがうえん)を造る工場があつて、雪のやうな塩が、山のやうにもり上げられてあつた。こゝを見てから、又バスに乗つて帰つて来た。
台南神社、鄭成功関係、町の盛衰、主な産業と、小綺麗にまとめてある。まさしく教科書通りの内容だ(教科書だぜ)。今は跡形もない台南神社を除けば、現在の日本で紹介される台南と、それほど大差はないようにも見える。
もっとも、大差がないのは当然である。この教科書も現在のガイド類も、所詮は日本の都合でまとめてあるのだから。
南天書局のシリーズに一つだけ含まれる、公学校ではない小学校用教科書には、台南の項目がない。基本的に同様の項目で構成されていながら、台湾関係部分だけ削除されている(正確に言えば、公学校用に追加した、だろう)。
その、削除された記述の中には、他でもない鄭成功の話も含まれる。
母親が日本人だとさんざん利用しておきながら、在住の日本人向け教科書では取り上げもしない。その辺の本音が垣間見えて興味深かった。
2012/02/17
3月に行くぞ
桃園便を予約した。
ジェットスターにしかけたが、赤子連れでローコストキャリア利用に不安を感じた上に、値段が変わらないこともあって、エバー航空にしたぞ。
キャセイより6万ぐらい安いはず。桃園で一泊する(帰国便が朝8:30)ことを差し引いても安い。
ちなみにエバー航空では、赤子連れの予約は二段階で行う。まず大人のチケットをウェブ上で購入。次に予約番号を確認して、予約センター(我々の場合は大阪)に電話、赤子の分を追加する形になる。
予約は面倒だが、赤子対応はローコスト系より良さそうだ(乗ってみないと分からんけどね)。何より良いのは、キャンセル可能なこと。ジェットスターは購入したら一切返金されないし、突然体調を崩す赤子連れには向いていないと思う。
なお、具体的な日程は公開しない。キャンセルする可能性は常にあるわけだし。
tomopeeの体調は、本日時点ではかなりイイ。願わくはそれが持続することを。
ジェットスターにしかけたが、赤子連れでローコストキャリア利用に不安を感じた上に、値段が変わらないこともあって、エバー航空にしたぞ。
キャセイより6万ぐらい安いはず。桃園で一泊する(帰国便が朝8:30)ことを差し引いても安い。
ちなみにエバー航空では、赤子連れの予約は二段階で行う。まず大人のチケットをウェブ上で購入。次に予約番号を確認して、予約センター(我々の場合は大阪)に電話、赤子の分を追加する形になる。
予約は面倒だが、赤子対応はローコスト系より良さそうだ(乗ってみないと分からんけどね)。何より良いのは、キャンセル可能なこと。ジェットスターは購入したら一切返金されないし、突然体調を崩す赤子連れには向いていないと思う。
なお、具体的な日程は公開しない。キャンセルする可能性は常にあるわけだし。
tomopeeの体調は、本日時点ではかなりイイ。願わくはそれが持続することを。
2012/02/05
2012/01/24
病人一家
台湾旅行は、一応予定日を空けてある。
……のだが、tomopeeは定期的に病院通い。そしてtomopeeのおかげもあって(それぞれの出先でもらうものもあるけど)我々も病気がちだ。
つい最近も、まずhashiがふせってしまう。その時はまぁ、tomopeeは風邪引きながらほどほどに元気、derorenはまずまず元気で、どうにか乗り切った。
が、次にtomopeeが嘔吐を繰り返す。これも最近流行りの風邪らしいが、薬を飲ませると一転して激しい下痢となり、大いに親を悩ませた。さらにderorenも似たような症状で、我が家大ピンチである。
何とか回復したhashiが孤軍奮闘、derorenは今日になってほぼ落ちついた。あとはtomopeeが下痢地獄と完全訣別できるかどうかという状況である。

そんなこんなで、正直旅行のことを考える余裕はなかった。
けど、撮りだめていたテレビの台湾特番を見て、やはり行きたいなぁ、と思う。番組自体はすごくつまらなくて、何の魅力も感じなかっただけに不思議だ。
……のだが、tomopeeは定期的に病院通い。そしてtomopeeのおかげもあって(それぞれの出先でもらうものもあるけど)我々も病気がちだ。
つい最近も、まずhashiがふせってしまう。その時はまぁ、tomopeeは風邪引きながらほどほどに元気、derorenはまずまず元気で、どうにか乗り切った。
が、次にtomopeeが嘔吐を繰り返す。これも最近流行りの風邪らしいが、薬を飲ませると一転して激しい下痢となり、大いに親を悩ませた。さらにderorenも似たような症状で、我が家大ピンチである。
何とか回復したhashiが孤軍奮闘、derorenは今日になってほぼ落ちついた。あとはtomopeeが下痢地獄と完全訣別できるかどうかという状況である。

そんなこんなで、正直旅行のことを考える余裕はなかった。
けど、撮りだめていたテレビの台湾特番を見て、やはり行きたいなぁ、と思う。番組自体はすごくつまらなくて、何の魅力も感じなかっただけに不思議だ。
2012/01/08
『台湾仏教名刹』を読んだ
新年快樂~~
某大図書館で、偶然目にとまった「台湾」の文字。ちょっと期待できそうな表紙をめくってみれば、期待以上のすごい内容だ。これを紹介せずにおれようか。
ということで、タイトルは『台湾仏教名刹』。民国63年(1974)3月15日初版(出版:華宇出版社 印刷:徳和彩色印刷有限公司)で、定価は「新臺幣貳仟捌佰圓」「美金柒拾圓」だ。さぁ読めるかな? ニュー台湾ドル2800元、70アメリカドルだぜ。
編者は釈道安を主任とする台湾仏教名刹編印委員会。委員会には仏光山の星雲などの名も見える。なお、某大所蔵書は、その星雲による寄贈書である。
ともかくB4版の巨大な本の表紙をめくると、いきなり毛筆の書が並ぶ。台湾の書籍では、軽めの内容の本でも何人かによる序文(推薦状)が載っているが、これもどうやらその類らしい。あまりに立派で驚かされる。
……というか、その体裁はバラバラで、いかにも寄せ集めな感がある。各教団の微妙な関係のもとで成り立っているのだな、と推測せざるを得ない。
体裁は全編横書きで、恐るべきことにすべて右から左へ書かれている。ただし英文は左右逆。なかなか頭がくらくらする構成だ。
数ページめくって、ようやく現れた編者の序を読むと、世界五大宗教の一つである仏教を賞讃し、その宣揚に用いる意図とあった。
対外的アピールを主目的とすることは、本文を含むすべてに英訳が付けられることでも、容易に推察される。序の日付を「佛暦2518年寅月」と、今時誰が使っているのか分からない暦で記すのも、西暦=キリスト教との対抗意識とみることができよう。
さて、本編は地方ごとに区分されるが、それぞれの地域内での順序は一見よく分からない。台湾北部は台北の松山寺、十普寺・臨済禅寺の順。台湾南部では高雄の仏光山がトップで、あとはバラバラだ。先に掲載されるからといって分量が多いわけですらない。
……まぁ実は、松山寺は釈道安が住持なのである。要するに、関係者の寺院が先に載っているのだ。台南に関しては開元寺、法華寺が並び、離れて湛然寺が載るのだが、前二者の住持は編集委員であった。
まぁしかし、この本の本当のすごさは、そんなところにはない。
どこの寺院も、最初に寺院の外観写真、そして沿革が記される。文字で説明すればごく当たり前のことだが、ページ割りも写真も凄まじく素人臭い。開元寺も台南法華寺も(ちなみに台北法華寺も載る)、社殿が傾いているぜ。
そもそも、写真の選定がおかしい。開元寺だけで9ページもあり、新しく建てた三門と大士殿、円光宝塔の写真は沢山載っている。しかし一方で、肝心の本殿(大雄宝殿)もその本尊も全くない。要するに、寺院全般の紹介が意図されていないのだ。
では何を意図して造られたのか?
それは恐るべき大きさで掲載される、各寺住持の肖像写真によって推察できる。つまり、現在の各寺院の業績を顕彰するものである。
開元寺についていえば、鉄筋コンクリートの新築大士殿こそが最大の業績であり、そこにページを費やしている。さらに最後のページは、病院の完成予想図で埋められている。
その病院は後に完成し、今では入院患者が境内で憩っているわけだが、これは現代仏教による社会貢献なのだ。
日本でも、宗派内部の出版物では似たようなものを見たことがある。悪く言えば、各寺トップ陣の功績を讃えるお手盛りの出版物である。
編集のクオリティが著しく低いのも、各寺の意向をそのまま再現したためだろう。極端に小さな紙焼き写真を引き伸ばしたために、住持の顔がぼやけてしまった例すらみられるが、大事なのはピントではなく大きさなのだ。
しかし、本当にただのお手盛りならば、こんな体裁にする必要はないのだ。余所の寺と並べられて、メリットのある寺院は少ない。実際、パラパラめくりながら「この寺はさっきの寺院よりしょぼいなぁ」とか言えてしまうのだから。
そこはやはり、台湾仏教が今現在もっているパワーを、世界にアピールしようという目的意識によるのだろう。
私はそういう世代ではないし(笑)、当時の空気を推測する術もないが、この本が中国の文化大革命の時期に出版されたことは、記憶に留めておきたいところだ。
釈道安自身のページ(松山寺)では、海外伝道の紹介に多くが費やされている。まぁ蒋介石八十五歳を祝う古画展に3ページも使ってるけどさ。
各寺の思惑はともかく、多くの金と人が動くこと、それはすなわち仏教の興隆を証明する。
何というか、日本古代の仏教が、架橋や灌漑などの土木工事によって信仰を広めていったことを思い出させる。さしずめ現代の行基たちってヤツですかい。
なお、開元寺や法華寺の記述については、別途記事を書くかも知れない。期待しないで待っておくれやす。
各寺院の業績に関しては、どうこう話すほどの材料もないし、わざわざ時間を割いて検討する気力もないので、コメントしない。つーか、40年近く前の内容を評価しても仕方ないでしょ。
某大図書館で、偶然目にとまった「台湾」の文字。ちょっと期待できそうな表紙をめくってみれば、期待以上のすごい内容だ。これを紹介せずにおれようか。
ということで、タイトルは『台湾仏教名刹』。民国63年(1974)3月15日初版(出版:華宇出版社 印刷:徳和彩色印刷有限公司)で、定価は「新臺幣貳仟捌佰圓」「美金柒拾圓」だ。さぁ読めるかな? ニュー台湾ドル2800元、70アメリカドルだぜ。
編者は釈道安を主任とする台湾仏教名刹編印委員会。委員会には仏光山の星雲などの名も見える。なお、某大所蔵書は、その星雲による寄贈書である。
ともかくB4版の巨大な本の表紙をめくると、いきなり毛筆の書が並ぶ。台湾の書籍では、軽めの内容の本でも何人かによる序文(推薦状)が載っているが、これもどうやらその類らしい。あまりに立派で驚かされる。
……というか、その体裁はバラバラで、いかにも寄せ集めな感がある。各教団の微妙な関係のもとで成り立っているのだな、と推測せざるを得ない。
体裁は全編横書きで、恐るべきことにすべて右から左へ書かれている。ただし英文は左右逆。なかなか頭がくらくらする構成だ。
数ページめくって、ようやく現れた編者の序を読むと、世界五大宗教の一つである仏教を賞讃し、その宣揚に用いる意図とあった。
対外的アピールを主目的とすることは、本文を含むすべてに英訳が付けられることでも、容易に推察される。序の日付を「佛暦2518年寅月」と、今時誰が使っているのか分からない暦で記すのも、西暦=キリスト教との対抗意識とみることができよう。
さて、本編は地方ごとに区分されるが、それぞれの地域内での順序は一見よく分からない。台湾北部は台北の松山寺、十普寺・臨済禅寺の順。台湾南部では高雄の仏光山がトップで、あとはバラバラだ。先に掲載されるからといって分量が多いわけですらない。
……まぁ実は、松山寺は釈道安が住持なのである。要するに、関係者の寺院が先に載っているのだ。台南に関しては開元寺、法華寺が並び、離れて湛然寺が載るのだが、前二者の住持は編集委員であった。
まぁしかし、この本の本当のすごさは、そんなところにはない。
どこの寺院も、最初に寺院の外観写真、そして沿革が記される。文字で説明すればごく当たり前のことだが、ページ割りも写真も凄まじく素人臭い。開元寺も台南法華寺も(ちなみに台北法華寺も載る)、社殿が傾いているぜ。
そもそも、写真の選定がおかしい。開元寺だけで9ページもあり、新しく建てた三門と大士殿、円光宝塔の写真は沢山載っている。しかし一方で、肝心の本殿(大雄宝殿)もその本尊も全くない。要するに、寺院全般の紹介が意図されていないのだ。
では何を意図して造られたのか?
それは恐るべき大きさで掲載される、各寺住持の肖像写真によって推察できる。つまり、現在の各寺院の業績を顕彰するものである。
開元寺についていえば、鉄筋コンクリートの新築大士殿こそが最大の業績であり、そこにページを費やしている。さらに最後のページは、病院の完成予想図で埋められている。
その病院は後に完成し、今では入院患者が境内で憩っているわけだが、これは現代仏教による社会貢献なのだ。
日本でも、宗派内部の出版物では似たようなものを見たことがある。悪く言えば、各寺トップ陣の功績を讃えるお手盛りの出版物である。
編集のクオリティが著しく低いのも、各寺の意向をそのまま再現したためだろう。極端に小さな紙焼き写真を引き伸ばしたために、住持の顔がぼやけてしまった例すらみられるが、大事なのはピントではなく大きさなのだ。
しかし、本当にただのお手盛りならば、こんな体裁にする必要はないのだ。余所の寺と並べられて、メリットのある寺院は少ない。実際、パラパラめくりながら「この寺はさっきの寺院よりしょぼいなぁ」とか言えてしまうのだから。
そこはやはり、台湾仏教が今現在もっているパワーを、世界にアピールしようという目的意識によるのだろう。
私はそういう世代ではないし(笑)、当時の空気を推測する術もないが、この本が中国の文化大革命の時期に出版されたことは、記憶に留めておきたいところだ。
釈道安自身のページ(松山寺)では、海外伝道の紹介に多くが費やされている。まぁ蒋介石八十五歳を祝う古画展に3ページも使ってるけどさ。
各寺の思惑はともかく、多くの金と人が動くこと、それはすなわち仏教の興隆を証明する。
何というか、日本古代の仏教が、架橋や灌漑などの土木工事によって信仰を広めていったことを思い出させる。さしずめ現代の行基たちってヤツですかい。
なお、開元寺や法華寺の記述については、別途記事を書くかも知れない。期待しないで待っておくれやす。
各寺院の業績に関しては、どうこう話すほどの材料もないし、わざわざ時間を割いて検討する気力もないので、コメントしない。つーか、40年近く前の内容を評価しても仕方ないでしょ。
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