2011/02/15

北港朝天宮への進香団(十九) 大林朝傳宮編

大林朝傳宮の進香
 進香団シリーズも、一応これで最後となる。
 実は5月3日の進香団を一部端折っているので、もう少し書こうと思えば書けるのだが、このタイミングで3日に戻るだけのエネルギーはない。いずれ気が向けば……という感じ。

 で、最後に見学した一団は、撮影位置が門側ではなくなっている。これはもうタイムリミットで、帰ろうとした関係である。

大林朝傳宮の進香
 旗には高雄市とも書いてある。けれど白帽子の文字から朝伝宮と判断した。高雄から団体で向かうのはしんどいだろう。
 なお、絶妙な位置にオッサンが写り込んでいるのは気にしないでくれ。空の色で塗ってしまおうかとも思ったが、そこまで処理する価値もないからモザイクで済ませた。

大林朝傳宮の進香
 順風耳の行進。横から見ると何とも味わい深い。

大林朝傳宮の進香
 こうして先触れが通り、いよいよ神輿が現れた。
 ここは朝天宮の境内のわずかに手前の車道である。まぁ要するに三叉路の中心部分だが、神輿が通過しなければならない儀礼は、必ずここで行われる。他の場所でやったら大変なことになるから当然だが。

大林朝傳宮の進香
 手前の人々の中に、耳に手をあてている人が見えるだろう。
 そして神輿の下には赤いもの。黄色の服のメガネの人が、今にもやらかそうとしている。

大林朝傳宮の進香
 そして立ち上がる火柱。
 これはどこかの国のデモではない。

大林朝傳宮の進香
 キノコ雲が発生する。
 何というか、昔々のタイムボカンシリーズでよく見た光景を、リアルに経験した瞬間である。これが当たり前という感覚は、ちょっと嫌だなぁと思う。

大林朝傳宮の進香
 やがて大量の灰と煙が群衆を襲う。毎度のことだが、ここまでしなきゃいけない理由がよく分からない。
 かつて京都市内某所の祭礼を見学した時、神輿を回転させる際にバス停のポールを折ってしまった瞬間、大歓声があがったのを思い出す。神輿行列には、何となく派手で暴力的なものを求めてしまう気分が確実に伴っている。
 普段はできないことが、祭礼だからという理由で可能になってしまう。多少はそういう要素がないと、祭は続かないのかも知れないなぁ、と思いながら朝天宮を後にしたderorenであった。

2011/02/09

北港朝天宮への進香団(十八) 大林鎮水汴頭朝興宮編(六)

水汴頭朝興宮の進香
 その(五)で終わると言いつつ、まさかの続編。これは帰路の様子である。
 まずは両将軍の様子。媽祖が対面を果たしている間、守護役の将軍たちは門のところで休んでいる。ついでに十家将もくつろいでいた。

水汴頭朝興宮の進香
 対面を終えた媽祖たちが、バケツリレー方式で移動する様子。
 注目してほしいのは、右端に写っている香炉である。

水汴頭朝興宮の進香
 媽祖像などは、一つひとつこうして香炉をくぐって行く。
 以前に紹介したように、媽祖像が中で対面を果たす時にも、火渡りを行っている。内部の香炉は帰る時に一度のようだが、ここでは往復二度通過する例もあった。

水汴頭朝興宮の進香
 そうして神輿に神々が戻ると、帰路につくことになる。
 家将は軽く舞って去る。

水汴頭朝興宮の進香
 両将軍もぐるぐる回って、そして帰っていく。

水汴頭朝興宮の進香
 サービスカット。
 千里眼ファンのために全身ショットだ。マニア垂涎の一枚である。

水汴頭朝興宮の進香
 もちろん、もう一組の将軍たちも最後のダンスを披露し、ようやく媽祖とその一行の長い一日は終わることになる。
 長いといっても、北港で過ごした時間はせいぜい二時間だと思うけどね。

 さぁ、そんなわけで完全に時宜を逸した我々のリアルタイム紹介も、間もなく北港鎮編を終えて帰路となる。
 その後は少しマニアックな記事を幾つか書く予定。東嶽殿や玉皇宮の話や、媽祖信仰のことをじっくり書こうと思う。
 なお、最近も過去の記事を幾つか書き直している。府城隍廟と安平古堡については、基本データが欠けているので書き足した。他のガイドに任せた形の赤嵌楼についても、いずれ増補する。
 ついでに、googlemapもボチボチ更新中。ブラウザによってはうまく見れないようだが、暇な時に更新するぞ。

2011/02/04

ブログの多言語化は必要だろうか、他(雑談)

 bloggerの管理画面に「統計」という項目ができていることを、1月末に知った。
 さっそく見てみると、去年の5月からアクセス統計というのが始まっていたらしい(私の意志ではなく、bloggerが勝手に始めたことなので、実際の開始日は不明)。しかしデータとしては7月以降の数字しかないようだ。
 ともあれ、せっかくなので眺めてみたら、アクセスの国別統計があった。2010年7月頃から本日までの数字は、下の通りだ。

日本27,226 台湾3,361 アメリカ合衆国1,027 カナダ67 フランス65 香港51 大韓民国39 マレーシア37 タイ37 シンガポール35

 この数字には、実は謎の部分がある。というのも、この記事はデータを見つけた1月末に書きかけて放置してあったのだが、改めて表に出すためにデータを取りなおすと、韓国とシンガポールの数字が減っている(他はもちろん増加)。それぞれ1減っただけなので、大勢に影響はないのだろうが、いまいちどういうシステムなのか疑問がある。

 別途付けているアクセス解析と照らし合わせると、「アメリカ」の多くはproxyもしくはトロイの木馬の可能性が高い。台湾も一般的にはトロイの踏み台が多いらしいが、こちらはほぼ本物。つまり、だいたい訪問者の1割が台湾の人ということになる。
 もちろん台湾からといっても、台湾在住の日本語ネイティブがアクセスする場合も多いのだが、毎日確実に繁字体ブラウザの人が混じっている。載せている廟宇の中には、向こうのサイトでも稀な場所があったりするので、その辺の需要はそれなりに手堅いようだ。

 なので、ちゃんと中国語文を書ける力があれば、多言語化してみたいなぁという欲求もある。正直言って、今の語学力では厳しいけどね。
 本当は、中国語文で書くならむしろ京都のブログにすべきなんだよなぁ。どちらの需要が多いかなんて、考えるまでもないのだし。『都名所図会』を翻訳して紹介できたら面白そうだ。繰り返しになるが、今の語学力では厳しいけどね……。


 なお、当ブログはFC2とQLOCKのアクセス解析を付けている(FC2は一時期データが飛びまくったので、QLOCKを追加)。どちらも右メニュー内に設置しているので、数字が正確かは分からない(一般にはページ左上にタグを設置するものだ)。FC2はたまにアクセスの形跡がないのに拍手が押されていることがあったゾ。
 全般的にはFC2が一番数値が大きく、二番手がQLOCK、一番少ないのがblogger統計の模様。QLOCKは昨秋からなので比較できないが、FC2とbloggerは2万も違う。アクセス数が多いと嬉しい人はFC2解析がいいかも知れない。


 無駄話のついでに無駄話。
 南京町の春節は、やはり諸般の都合により行けそうにない。でもderorenは台湾成分を摂取したいので、春節が終わった後に一人で閑散とした町に繰り出す可能性大。
 それと、ブログの地図追加のついでで、googleマップ版のderorenのホ~ムペ~ジを作成中。何かのついでにしか更新しないので、役に立つ地図に育つかは微妙。というか、需要はあるのだろうか?

2011/02/01

北港朝天宮への進香団(十七) 台南慈興宮編

慈興宮の北港朝天宮進香
 まだ続く進香団シリーズ。宏天宮の橋本真也がハッスルポーズを決めている頃(そんなポーズはしてない)、後ろで出番を待ちわびていた次なる刺客である。
 まぁ旗持ちのオッサンのゆるい歩きっぷりを見ては、何の緊迫感もない。が、ここはここで驚くべき行列には違いなかった。

 なお、旗の後ろには小さな神輿が見える。何と、あの例の椅子だけを載せた神輿だ(手轎)。神座には毎度驚かされる。いや、さっき書いた「驚くべき」はこれじゃないけど。

慈興宮の北港朝天宮進香
 驚くべきは、これだ。
 なんとマーチングバンドが加わっていたゾ。

慈興宮の北港朝天宮進香
 幾多の祭儀と同じく、門前の庭で演奏するのだ。もう何というか、格好のわりに若くなさそうとか、そんな些細なことは問題ではない。台湾の祭礼はなんて発想が柔軟なんだ、と驚かずにいられようか。

慈興宮の北港朝天宮進香
 おばちゃんパワーなのか、みんな音楽好きなのか知らないけど、いつの間にか人でギッシリになった。すき間から覗くしかないので、カメラも縦向きばかりになってしまう。

 しかし、そんな狭い視界にもしっかり写っているオバサン。一番左でスーパーのカゴを抱えているのは、台湾の廟ではおなじみの線香売りである。
 ここは花売りは少なく、数人の線香売りがうろうろしていた。我々にも何度か近づいて、「またお前かよ」みたいに離れていく繰り返しだ。我々のように拝拝目的でない存在がうろうろしてる方が悪いんだろうけどね(ただし、もちろん我々も拝拝はしてるゾ)。

慈興宮の北港朝天宮進香
 バンド演奏が終わると、今度は一転して鄙びた演奏とともに動き出す。
 ただし、このオッサンの帽子は「新荘慈祐宮」で、後ろの神輿などと違っている。別の一団なのかは定かでない……けど、台北郊外の新荘からはかなり遠いので疑問である。

慈興宮の北港朝天宮進香
 最後は神輿。ちなみに台南の慈興宮は、安南区の北東端にあるようだ。

 この写真は、神輿をどのように担いでいるのかよく分かる。
 日本の神輿とは明らかに異なることには、すぐに気付くのではなかろうか。

慈興宮の北港朝天宮進香
 手前の担ぎ棒は、神輿からのびる棒と縄で括り付けてある。つまりこれは、本来は腰の位置で持つしかない神輿を、肩で担げるように工夫されているのだ。
 媽祖の神輿は、正確にいえば山車なので持ち上げることはできない。しかし肩で担がないと長い時間はとても持てないので、こういう方法が普及したのだろう。なかなか考えられてるもんだなぁ、と素直に感心した。

2011/01/30

鶏排と乾麺(みたいなもの)を作った記録

鶏排
 以前に鶏排を作ってみたという記事を書いたら、意外にアクセス数が多い。レシピを求める人もそれなりにいるようだ。
 derorenはどこかの店の味を再現しようとしたわけではないし、『夜市美味小吃』の売上が落ちると申し訳ないので、あえてレシピは書かなかった。まぁしかし、実際にはレシピに従っていなかったりするし、私の作り方を参考までに書くぐらいはいいのかもなぁ、と考え直した。
 正直言って、書かれた通りに作っても味は保証しない。また、基本的にアバウトな人間なので、レシピ通りに作ろうとは思わない方が良いぞ。

 上の写真は初回のヤツなので、まだ『夜市美味小吃』に従っていたが、それでもだいぶ違う。最近の写真は撮ってないし、ちょっと諸事情により揚げ物NGなので、過去5度ぐらい作ったうちの後期のレシピを載せる。

・材料
鶏胸肉:食べたいだけ。
地瓜粉:片栗粉では代用できない。手元にないなら鶏排は諦めるべし。
塩・コショウ・五香粉・砂糖・醤油・醤油膏・みりん・日本酒・紅麹・豆板醤:下味付け。全部入れるわけではない。

・手順
1:肉を切って、調味料を入れたボールに投入してよく混ぜ、4時間ほど寝かす。
2:肉を取り出して、地瓜粉を押しつけるようにまぶす。
3:少し時間をおいてなじませたら、油で揚げる。

 要するに問題は、調味料に何を入れるかだけだ。
 『夜市美味小吃』の「豆乳雞」では、紅麹(紅糟)、豆腐乳、砂糖、コショウ、アジノモトとある。最後のヤツはさておき、日本では紅麹と豆腐乳が入手困難である(derorenは台湾で紅麹を買って帰った)。
 台湾らしい味付けにするには、同書「香雞排」の五香粉、醤油、砂糖、ニンニク、アジノモトという組み合わせの方がそれっぽい。五香粉(八角の香り)は日本でも比較的容易に手に入るので、あの臭いが好きな人は試してみては、と思う。
 逆に日本的な唐揚げの下味で、地瓜粉をまぶして揚げれば、パリパリのちょっと台湾っぽい唐揚げになるゾ。

 なお、鶏のモモ肉は鶏排に向いていない。皮の部分が残っているとパリパリ感が損なわれるし、食べても美味しくなかった。
 ともかく、derorenに書けるのはこの程度なので、あとは台湾人の書いたレシピを探してチャレンジしておくれやす。


乾麺
 で、最近もう一つ試してみたのが、陽春麺である。これは国内では台湾物産館とか南京町の林商店などに売っていたはず(我々は台湾物産館で買った)。せっかくなので、以前から興味があった乾麺を試作した。
 日本でいう乾麺は文字通り麺の状態を示す言葉だが、台湾では汁なし麺をこの名で呼ぶことがある。いわゆる担々麺やジャージャー麺もそうだ。
 我々は台北の進財切仔麺で初めて食べてなかなかうまかったので、作れるものなら作ってみたいと思ったわけだ。
 こちらは相方のhashiが調理した。hashiはネットのいろいろなレシピをまぜこぜにした上に、缶詰を使ったので何の参考にもならないゾ。

・写真の麺の材料
陽春麺・ネギ・ゴマ・肉燥缶詰

 肉燥缶詰とは、南京町の林商店で買った新東陽のものである。新東陽かよ、という感じではあるが、その時はどうしても台湾っぽいものが買いたくて、あまり考えもせずに購入。結局使い道がなく放置されていたものを、せっかくなので利用した。辣味なので調味料も兼ねている。
 ゴマは担々麺レシピの影響である。本来はニンニクとか醤油膏の方がそれっぽいけど、肉燥の時点で辛いので、あとは野となれ山となれの精神で制作した模様。

乾麺
 これがしかし、なかなかうまい。肉燥缶詰のポテンシャルが発揮されたようだ。缶詰を買わないと再現できないのが難だけど、二人でムシャムシャ食べた。そしてhashiは食べ過ぎで胃がもたれて寝込んだ。

 さて、次回へ向けての反省を書いてみる。
 麺はたぶん、陽春麺よりは日本のうどん乾麺の方がよさげ。大陸の味にこだわりたいなら陽春麺を探すしかないけどさ(陽春麺は外省人が持ち込んだ大陸の麺)。
 味付けは、豚の角煮にガーリックを効かせると、それっぽくならないかなぁと思う。ただし、これは悲惨な結果になる可能性があるので、安易に試せないな。


 derorenとhashiが台湾旅行できない理由は、そのうち明かす予定だが、ともかく旅行できないストレスを、国内での買い物と料理で発散しているわけである。
 繰り返すけど、我々の腕を信用しないように。素晴らしいレシピがあれば紹介してくだされ。

2011/01/29

北港朝天宮への進香団(十六) 中哺宏天宮編(二)

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 その日、我々は台湾でまさかの破壊王を見た!!
 俺も男だ、勝負だ! 橋本真也だ!!

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 いやまぁ、乩童なんですよね、ええ。
 とはいえ、橋本のコスプレにしか見えない衣装で荒行をこなす彼に、愛の魂が乗り移っていないと誰が断言できようかっ!

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 イガイガのボールで背中を叩けば流血の事態となる。
 まぁ橋本はデスマッチ系ではないので、その意味では乗り移ってないという推測もできる。しかし私はその昔、冬木弘道追悼の川崎球場大会で、橋本が冬木の遺骨を抱いて電流爆破を敢行する姿をこの目で見た人間である。あの日の橋本真也は最高に格好良かった。未亡人とのアレに発展するとは夢にも思わなかった。
 わずか数年後に冬木と再会するとも、思いもしなかった。


 背中の傷は男の勲章だ。ちなみに、介添えの人が酒を吹き掛けて消毒している。
 橋本の息子がまもなくデビューするらしいが、デビュー前に台湾に行くべきではなかろうか。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 最後は火祭り刀を持って仁王立ち。
 何というか言葉にならない感動を覚えた私は、帰国するとタンスの奥に眠っていた冬木Tシャツを着てしまった。そして、寒いし見にくいしヤクザだらけで最低の興行だった川崎球場が、いつの間にか美しい思い出になっている事実に愕然とした。

 プロレスに関心のない読者には全く理解不能な記事になってしまった。一般人は写真だけ眺めれば良いかと思うでござるよニンニン。

2011/01/28

北港朝天宮への進香団(十五) 中哺宏天宮編(一)

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 進香行列の紹介も佳境と言いたいところだが、まだしばらく続く。
 正直言って、このエントリーは観光客向けとは言いがたい部分もある。かといって、専門知識をもたずに書いている以上、学術的記事でもない。どっちつかずの宙ぶらりんだ。

 ともかく、次の進香団がやって来る。
 こうやって煙の向こうに一団が見える構図も、いい加減飽きた。実際に見ていれば、音があるから全く違うけどね。そもそも、ここに来ている時点で、軽い興奮状態なわけだし。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 獅子を連れてきたこの一団は、中哺宏天宮という媽祖廟らしい。
 「らしい」というのは、下の写真でも分かるように、神輿にそう見えるからだが、一方で人々のコスチュームには違う言葉が書いてある。
 朝天宮の出巡遶境でもそうだが、廟にはいくつかの奉仕団体がある。それらは獅子舞を司ったり、鳴り物だったり、武道の団体だったりとさまざまだ。ここの人たちは「金獅會」と書かれたコスチュームを着ていたので、上の写真に見える獅子の奉仕団体だろう。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 これもおなじみの神輿を動かす場面。
 まぁ同じ宮に同じ目的でやって来た団体が、同じ場所でやることなのだから当然といえばそうなのだろう。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 ちょっと順番が前後するのだが、獅子舞。
 脚の方までコスチュームがあるのはポイントが高い。よれよれのジーンズばかりだったので、逆に新鮮だ。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 成り行き上、門の中央辺りで撮影したので、通りの奥の橋まで見通せている。
 なかなかいい雰囲気の街でしょ?

 もちろん獅子もいい。そろそろ神戸南京町の春節祭だけど、あそこの獅子舞は人混みでほとんど見えないのよね。かといってギャラリーが少ないと寂しいので、これぐらいの雰囲気が一番だ。

中哺宏天宮の北港朝天宮進香
 最後に旗持ちがぐるぐる門前をまわって終わる。
 ただし、以上の紹介には一つ抜けているものがある。それこそが南の大地に甦る爆笑宣言、愛の魂の勇姿であった。そんなわけで(二)に続く。