台湾旅行は、一応予定日を空けてある。
……のだが、tomopeeは定期的に病院通い。そしてtomopeeのおかげもあって(それぞれの出先でもらうものもあるけど)我々も病気がちだ。
つい最近も、まずhashiがふせってしまう。その時はまぁ、tomopeeは風邪引きながらほどほどに元気、derorenはまずまず元気で、どうにか乗り切った。
が、次にtomopeeが嘔吐を繰り返す。これも最近流行りの風邪らしいが、薬を飲ませると一転して激しい下痢となり、大いに親を悩ませた。さらにderorenも似たような症状で、我が家大ピンチである。
何とか回復したhashiが孤軍奮闘、derorenは今日になってほぼ落ちついた。あとはtomopeeが下痢地獄と完全訣別できるかどうかという状況である。
そんなこんなで、正直旅行のことを考える余裕はなかった。
けど、撮りだめていたテレビの台湾特番を見て、やはり行きたいなぁ、と思う。番組自体はすごくつまらなくて、何の魅力も感じなかっただけに不思議だ。
Pages
▼
2012/01/08
『台湾仏教名刹』を読んだ
新年快樂~~
某大図書館で、偶然目にとまった「台湾」の文字。ちょっと期待できそうな表紙をめくってみれば、期待以上のすごい内容だ。これを紹介せずにおれようか。
ということで、タイトルは『台湾仏教名刹』。民国63年(1974)3月15日初版(出版:華宇出版社 印刷:徳和彩色印刷有限公司)で、定価は「新臺幣貳仟捌佰圓」「美金柒拾圓」だ。さぁ読めるかな? ニュー台湾ドル2800元、70アメリカドルだぜ。
編者は釈道安を主任とする台湾仏教名刹編印委員会。委員会には仏光山の星雲などの名も見える。なお、某大所蔵書は、その星雲による寄贈書である。
ともかくB4版の巨大な本の表紙をめくると、いきなり毛筆の書が並ぶ。台湾の書籍では、軽めの内容の本でも何人かによる序文(推薦状)が載っているが、これもどうやらその類らしい。あまりに立派で驚かされる。
……というか、その体裁はバラバラで、いかにも寄せ集めな感がある。各教団の微妙な関係のもとで成り立っているのだな、と推測せざるを得ない。
体裁は全編横書きで、恐るべきことにすべて右から左へ書かれている。ただし英文は左右逆。なかなか頭がくらくらする構成だ。
数ページめくって、ようやく現れた編者の序を読むと、世界五大宗教の一つである仏教を賞讃し、その宣揚に用いる意図とあった。
対外的アピールを主目的とすることは、本文を含むすべてに英訳が付けられることでも、容易に推察される。序の日付を「佛暦2518年寅月」と、今時誰が使っているのか分からない暦で記すのも、西暦=キリスト教との対抗意識とみることができよう。
さて、本編は地方ごとに区分されるが、それぞれの地域内での順序は一見よく分からない。台湾北部は台北の松山寺、十普寺・臨済禅寺の順。台湾南部では高雄の仏光山がトップで、あとはバラバラだ。先に掲載されるからといって分量が多いわけですらない。
……まぁ実は、松山寺は釈道安が住持なのである。要するに、関係者の寺院が先に載っているのだ。台南に関しては開元寺、法華寺が並び、離れて湛然寺が載るのだが、前二者の住持は編集委員であった。
まぁしかし、この本の本当のすごさは、そんなところにはない。
どこの寺院も、最初に寺院の外観写真、そして沿革が記される。文字で説明すればごく当たり前のことだが、ページ割りも写真も凄まじく素人臭い。開元寺も台南法華寺も(ちなみに台北法華寺も載る)、社殿が傾いているぜ。
そもそも、写真の選定がおかしい。開元寺だけで9ページもあり、新しく建てた三門と大士殿、円光宝塔の写真は沢山載っている。しかし一方で、肝心の本殿(大雄宝殿)もその本尊も全くない。要するに、寺院全般の紹介が意図されていないのだ。
では何を意図して造られたのか?
それは恐るべき大きさで掲載される、各寺住持の肖像写真によって推察できる。つまり、現在の各寺院の業績を顕彰するものである。
開元寺についていえば、鉄筋コンクリートの新築大士殿こそが最大の業績であり、そこにページを費やしている。さらに最後のページは、病院の完成予想図で埋められている。
その病院は後に完成し、今では入院患者が境内で憩っているわけだが、これは現代仏教による社会貢献なのだ。
日本でも、宗派内部の出版物では似たようなものを見たことがある。悪く言えば、各寺トップ陣の功績を讃えるお手盛りの出版物である。
編集のクオリティが著しく低いのも、各寺の意向をそのまま再現したためだろう。極端に小さな紙焼き写真を引き伸ばしたために、住持の顔がぼやけてしまった例すらみられるが、大事なのはピントではなく大きさなのだ。
しかし、本当にただのお手盛りならば、こんな体裁にする必要はないのだ。余所の寺と並べられて、メリットのある寺院は少ない。実際、パラパラめくりながら「この寺はさっきの寺院よりしょぼいなぁ」とか言えてしまうのだから。
そこはやはり、台湾仏教が今現在もっているパワーを、世界にアピールしようという目的意識によるのだろう。
私はそういう世代ではないし(笑)、当時の空気を推測する術もないが、この本が中国の文化大革命の時期に出版されたことは、記憶に留めておきたいところだ。
釈道安自身のページ(松山寺)では、海外伝道の紹介に多くが費やされている。まぁ蒋介石八十五歳を祝う古画展に3ページも使ってるけどさ。
各寺の思惑はともかく、多くの金と人が動くこと、それはすなわち仏教の興隆を証明する。
何というか、日本古代の仏教が、架橋や灌漑などの土木工事によって信仰を広めていったことを思い出させる。さしずめ現代の行基たちってヤツですかい。
なお、開元寺や法華寺の記述については、別途記事を書くかも知れない。期待しないで待っておくれやす。
各寺院の業績に関しては、どうこう話すほどの材料もないし、わざわざ時間を割いて検討する気力もないので、コメントしない。つーか、40年近く前の内容を評価しても仕方ないでしょ。
某大図書館で、偶然目にとまった「台湾」の文字。ちょっと期待できそうな表紙をめくってみれば、期待以上のすごい内容だ。これを紹介せずにおれようか。
ということで、タイトルは『台湾仏教名刹』。民国63年(1974)3月15日初版(出版:華宇出版社 印刷:徳和彩色印刷有限公司)で、定価は「新臺幣貳仟捌佰圓」「美金柒拾圓」だ。さぁ読めるかな? ニュー台湾ドル2800元、70アメリカドルだぜ。
編者は釈道安を主任とする台湾仏教名刹編印委員会。委員会には仏光山の星雲などの名も見える。なお、某大所蔵書は、その星雲による寄贈書である。
ともかくB4版の巨大な本の表紙をめくると、いきなり毛筆の書が並ぶ。台湾の書籍では、軽めの内容の本でも何人かによる序文(推薦状)が載っているが、これもどうやらその類らしい。あまりに立派で驚かされる。
……というか、その体裁はバラバラで、いかにも寄せ集めな感がある。各教団の微妙な関係のもとで成り立っているのだな、と推測せざるを得ない。
体裁は全編横書きで、恐るべきことにすべて右から左へ書かれている。ただし英文は左右逆。なかなか頭がくらくらする構成だ。
数ページめくって、ようやく現れた編者の序を読むと、世界五大宗教の一つである仏教を賞讃し、その宣揚に用いる意図とあった。
対外的アピールを主目的とすることは、本文を含むすべてに英訳が付けられることでも、容易に推察される。序の日付を「佛暦2518年寅月」と、今時誰が使っているのか分からない暦で記すのも、西暦=キリスト教との対抗意識とみることができよう。
さて、本編は地方ごとに区分されるが、それぞれの地域内での順序は一見よく分からない。台湾北部は台北の松山寺、十普寺・臨済禅寺の順。台湾南部では高雄の仏光山がトップで、あとはバラバラだ。先に掲載されるからといって分量が多いわけですらない。
……まぁ実は、松山寺は釈道安が住持なのである。要するに、関係者の寺院が先に載っているのだ。台南に関しては開元寺、法華寺が並び、離れて湛然寺が載るのだが、前二者の住持は編集委員であった。
まぁしかし、この本の本当のすごさは、そんなところにはない。
どこの寺院も、最初に寺院の外観写真、そして沿革が記される。文字で説明すればごく当たり前のことだが、ページ割りも写真も凄まじく素人臭い。開元寺も台南法華寺も(ちなみに台北法華寺も載る)、社殿が傾いているぜ。
そもそも、写真の選定がおかしい。開元寺だけで9ページもあり、新しく建てた三門と大士殿、円光宝塔の写真は沢山載っている。しかし一方で、肝心の本殿(大雄宝殿)もその本尊も全くない。要するに、寺院全般の紹介が意図されていないのだ。
では何を意図して造られたのか?
それは恐るべき大きさで掲載される、各寺住持の肖像写真によって推察できる。つまり、現在の各寺院の業績を顕彰するものである。
開元寺についていえば、鉄筋コンクリートの新築大士殿こそが最大の業績であり、そこにページを費やしている。さらに最後のページは、病院の完成予想図で埋められている。
その病院は後に完成し、今では入院患者が境内で憩っているわけだが、これは現代仏教による社会貢献なのだ。
日本でも、宗派内部の出版物では似たようなものを見たことがある。悪く言えば、各寺トップ陣の功績を讃えるお手盛りの出版物である。
編集のクオリティが著しく低いのも、各寺の意向をそのまま再現したためだろう。極端に小さな紙焼き写真を引き伸ばしたために、住持の顔がぼやけてしまった例すらみられるが、大事なのはピントではなく大きさなのだ。
しかし、本当にただのお手盛りならば、こんな体裁にする必要はないのだ。余所の寺と並べられて、メリットのある寺院は少ない。実際、パラパラめくりながら「この寺はさっきの寺院よりしょぼいなぁ」とか言えてしまうのだから。
そこはやはり、台湾仏教が今現在もっているパワーを、世界にアピールしようという目的意識によるのだろう。
私はそういう世代ではないし(笑)、当時の空気を推測する術もないが、この本が中国の文化大革命の時期に出版されたことは、記憶に留めておきたいところだ。
釈道安自身のページ(松山寺)では、海外伝道の紹介に多くが費やされている。まぁ蒋介石八十五歳を祝う古画展に3ページも使ってるけどさ。
各寺の思惑はともかく、多くの金と人が動くこと、それはすなわち仏教の興隆を証明する。
何というか、日本古代の仏教が、架橋や灌漑などの土木工事によって信仰を広めていったことを思い出させる。さしずめ現代の行基たちってヤツですかい。
なお、開元寺や法華寺の記述については、別途記事を書くかも知れない。期待しないで待っておくれやす。
各寺院の業績に関しては、どうこう話すほどの材料もないし、わざわざ時間を割いて検討する気力もないので、コメントしない。つーか、40年近く前の内容を評価しても仕方ないでしょ。